変化することは生きること🎐

昨日、術後初めての検査がありました。結果は異変なし。。ホッとしたと同時にこれからも心身ともにますます健康になりたいという思いを抱きました。

それもこれも色んな方々のサポートがあってこそでした。本当にありがとうございます。

この日を迎える何日かは緊張を伴うムードが自分に立ち込めていたのですが、徐々に徐々に落ち着きを取り戻し病院へ行くことが出来たように思います。

あまり好きではない検査だったので(超音波)、いかにこの時間を楽しく過ごしてやろうかと、検査してくれる方と時世の事を話したり(おしゃべりな患者)、待合室では友人の子供の写真の歴史をひたすらスクロールして見たりしてました(ストーカーまがい😂)

この日を迎えるにあたってザッと半年を振り返ってみたのですが。。

どんな結果になろうと後悔はない。と思えたことはとてもとても大きな収穫だったように思います。

私はいわゆる術後の薬・放射線治療をお断りした人です。その背景には自分の根本(なにが私の病気のトリガーとなっていたか?)をみなおしたいという意図からでした。

世間の一般常識論では薬諸々の治療が当たり前とされている風潮があると思うのですが、私はそれを受け入れられなかった。

それに不安がないかといったら嘘になります。本当に良かったのだろうかと、逃げなのではないのだろうかと何回も何回も思いました。

でも、そこに正解・不正解はない

それが最終結論でした。

そしてこの半年間、食事や生活のリズムを見直して、実戦して、再調整して、その繰り返しでした。

当然ながら全部が全部上手くいくわけではないし、うまくできない自分に落ち込むこともよくありました。

けど、半年という練習と実験の日々が少しずつ自分の中に土台を作り始めていることも事実で。。それが大きな心の支えとなってくれているのだと思います。

また、自分の心が乱れるときは自分の周りで何が起こっているのか、自分の生活はどういうリズムを取っているのか。落ち込んだときはどうすればよいのか。そんなことを日々顕微鏡を覗くように過ごしていました。

実際、いかなる時でも自分は幸せだ。と思えるようになりました。勿論、嫌な出来事、気持ちの渦中にいるときはそんなふうに思えないのが現実ですが、一日の終わりに「嫌だったけど、それでも幸せ」と思って締めくくる。

そう、ムカつく事はあろうとも、自分は今日も目覚めてご飯を食べれて屋根がある家に住めて多くはないけれど収入を得て生活している。何より人と関わって生活できている。だからムカつく事もあるけれど、嬉しい事もいっぱいある。

私の場合は、薬に頼ることにしていたら思考停止のまま、自分の頭で根本の原因を考える事が出来ていなかったかもしれない。私は根性なしなので。。働く事も、新しい人達と出会えるパワーも持てなかったのかもしれない。

。。と思いました。これはあくまで私の話です。

何より新しい仕事を始めて、また私の中の価値観が変化してきている。

変化することは生きること

いつも変化を望んで長続きしない自分を悔やむ事が多い今迄でしたが、この言葉を聞いて救われた気持ちになりました。

私はこれからもっともっと明るい方向に向かって変化していきたい。頭や常識を軸に考えるのではなく、身体と自分の求める事を軸に日々を重ねていきたい。

もう既に始まっているシーズン2をその様に進んでいきたいと思います。

長文失礼しました。異常な暑さの6月の終わりですがどうぞご自愛くださいませ🎐🎐🎐

夏、梅雨、涼音、下半期、スマホプラン、スタバ 

暑い😵35°Cって本当ですか。。?日本はこのまま亜熱帯の国になってしまうんじゃないだろうか。。

この前職場の方と、寒いと着込んだり対処しようがあるけど、暑いと脱ぐのにも限界が。。(笑)という話をしていた。

私は本当に暑い国というところに行ったことがないから太陽光線が日本とどれくらい違うとかはわからないけど、日本、東京は湿気も多いしコンクリートやビル窓の照り返しもあり、何だか逃げ場がない。

すぐにサッと逃げされるような木陰もいっぱいあるわけではないし、何より人が多いし👬

先が思いやられますが、身体も少しずつ慣れていくことを願って。不満ばかり漏らしてしまいスミマセン、とは言いつつ事実でもある🥰❣️

そんな中ご近所の誰かが風鈴を窓辺に設置しているようでチリンチリン涼音のお裾分けを頂いています。あの音を聴くとほんと涼しさが吹き込んでくるようで不思議だなあと思います。

それにしても日本人とは四季を楽しめる特権もありますが、それに適応するために身体を常にアップデートしなければならないプログラムが組まれているのではないかと思う今日この頃。

今日はスマホプランの見直しに行ってこようかと思っています。ズボラな私にしてはこの見直しはなぜか定期的に行こうと思えるのですよね。生活環境が変わったりすると自ずと自分に見合ったプランも変わってくると思っているのかもしれません。

2022ももう下半期が目前。驚くスピードで上半期が過ぎて行きましたが、自分が何をしてきたのかもう一度じっくり振り返ってみて何を残して何を更新していくのか。6月も残すところ後数日。色々と考え小さな行動に移していけたらと思います。

6月も後数日。

スタバでマイタンブラーを持っていくと55円割引です❣️6月だけ。いつもは20か30円位だったと思います。

ただ見守るという事について 

常々、人は人の評価を求め、それを基準に自分というものを評価してしまう。そんななんとも人間らしくとも、時に自分の可能性を限定してしまったり、才能を見限ってしまったり、激しい思い込みの中に放り込まれてなかなかその地獄(もしくは天国?)の釜から抜け出せないということもあるのではないかと思う

 

私は昨日、とある大きな挑戦(私の中では清水ダイブに近いくらい勇気がいったこと!他の人に言わせたら「そんなこと〜?」と言われてしまうかもしれません😅)をしました

 

その大きな挑戦の最中、私の上司は遠く離れた所で作業をしていて。おそらく遠くから見守っていたのでしょうけど、一言も声を掛けてきませんでした

 

そしてその挑戦が終わった後も(無事に終了しました)、評価を下すことなく「どうでしたか?」と一言聞いてきただけでした

 

そんな一連の流れを昨晩振り返っていたのですが、その出来事がとてもありがたいなあと感じていました

 

評価がないというと成長がない、という方程式が頭の片隅をよぎるのは私が今までの社会人生活でその様な価値観を抱いて生きてきたからかもしれません。もしくは評価があってこそ成長があり、今より更にもっともっと良くなっていく、豊かになっていく、効率的になっていく、、そんな考えが刷り込まれてしまっているのかもしれません

 

 

けれど評価がないって

 

 

今のこの私の現状・頑張りをそのまま受け止めていてくれている。私がベストを尽くしたという事を理解してくれている。何よりフラットな目線で見てくれているのだな、という風に昨日の私は感じたのですよね

 

褒められるのは嬉しいけれど、少し度を過ぎると上から目線になる可能性もある(クソバイスになることも、、)

 

怒られるとそれなりに悲しくなっちゃうし😂

 

人にあれこれ言うのって、自分を大きく見せようとする行為とひねくれ者の私は思ってしまう(自戒を込めて、、)

 

何より一番怖いのは自分が他者の評価を常に求めてしまう=他人を通してしか自分自身を認識できないということです

 

過度に心配するでもない、かといって完全なる無関心でもない

 

そっと見守る、という大きな愛を受け取った気分でした

 

あのフラットな目線は本当にすごい。人をコントロールしようという要素を感じなかったから

 

愛の形は色々ですけどね

 

 

人によっては超怒られたいという方もいらっしゃるでしょう😅もしくは超超アドバイスが欲しい!という方も

 

これはあくまで私が感じた優しさのひとつであり、自分もただただ目の前の人を認識する、そしてコントロールを手放す、

 

何より自分の事は自分が一番にわかってあげたいなあと思うのです

 

でも、私憑依体質なのでうっかり仕事にのめり込むと我を忘れて消耗してしまうタイプらしいので適度にガス抜きしながらじゃないと生きていけないという事を自覚しました。人生とは面白く常に発見に満ち溢れているなあと思わざるを得ない日々です。もうね、疲れちゃうから。これ書いている今、ドトールさんに逃げ込んで書いています。だからひとり旅とか好きなんですよね。。

 

 

とひとりごちてしまいましたが

 

ジメジメがすごいですね!低気圧と共存していけるようにしたいと思います

生きている

全体を見た上で伝えることが決まる。という過程を目の当たりにした日だった。日々の観察と理解って本当に大事。

今日、某所で店員さんが「そんな所にドアが!?」という所に入っていった。秘密のドア。ちょっと吹き出しそうになる😂

梅雨冷えが加速した今日。体調管理が難しいなあと思う。今日は今日とて少し気温も上がり気温差が身体にのしかかってくるし。

それでも適応して生きている。それってすごいこと。

今日、枝豆を少し収穫した。

枝豆は収穫した直後に食べるのが本当に本当に美味しいというお話。そして収穫した後も呼吸をし続け代謝の為にエネルギーを使っている。だからおおよそ6日後位にはエネルギーを使い果たしてしまって美味しく無くなってしまう。

そんな話を聞いて、確実に生きている。と思った。

よくよく考えればどの野菜にも当てはまる事だと思うのだけれど、改めてその事を文字を通して認識したらすごい事だと思った。

人間は地上から離れてしまったら肉体が動かなくなってしまうし。でも身体が動かなくなっても生きている状態と言えるのだろうか。それともこれは49日の様なものなのだろうか。

色々と考えてしまった。

ちなみに枝豆の皮の部分をベジブロスで食している人もいるという記事をネット上で見つけ驚愕だった。。!なるほどねえ、確かに葉っぱだし、栄養もたくさん詰まってるし。。ちなみに皮をフライにしてチップスみたいにして食べる方もいるそうです。

そうと聞いて今ベジブロスを少し仕込んでみました。

どんな味なのか、ちょっと楽しみ🟢🟡🟢

レモンイエローインザレイニーデイ

 

 

 

今日目覚めて

昨日からうんうん唸るように考えていたことを朝目覚めても考え出したので

やめよ!と思った😂

しばし忘れる&時間の解決に身を任せる&先を遠目で見据えつつ、今この現状の事、眼の前のことにとにかく取り組もうと思う。

と切り替えたらかーなーリースッキリ!

ちなみにスッキリ繋がりだと今晩財布を磨いたらこれもまたスッキリ!これ習慣にしよう。。財布がスッキリするだけじゃなくて気持ち的にも本当にスッキリするよ。。

本日も梅雨らしい一日で☔️

シャワーよりもひと網細かい網の目をくぐったような線のようなシャワー。
降る、というよりも身体にまとわりつくように降り積もるような雨だった。



昨日、郵便局にうっかり折り畳み傘を忘れてしまって😭取りに行くのもかなり面倒なルートだったのと、かなり長い期間使用したものだったので思い切って買い替えた。

しかし。。傘ってあまり買うことがないからどんなのを買えば良いんだ??!と正直戸惑いました。自分がどんなものを欲しがるかわからなくなっている傾向が顕著にありますねー

似合う・似合わないではなくて、そして値段が、とか機能が。。とかあまり考えずに買おう、と何件かまわった後に思った。そう思ったら明るい色でパステルカラーに近いものが浮かんできたのでレモンイエローのものを買ってみた(でも白いドットが散りばめられているのだけれどあんまり目立たないタイプ)

いつもリュックの脇に傘を忍ばせているんだけど今ほぼ毎日使用しているリュックが混んで色の対比が激しいわー。ってこともあまり考えず購入した。というか、購入した後に気づいた。

地上0.5cmの溝をじわじわ埋める 

朝の公園の中でストレッチや呼吸を整えるワークを行ってみた。

 

家の近所は割と早朝から工事が常に行われていて自然音がかき消されている傾向があるのだけど、公園は広く、木々のざわめきや鳥の鳴き声がするすると入ってくるし、身体の緩みも早いような気がした。

 

身体に手をあてると‘’反応‘’というものがある。

 

お腹に手をあてるとグルグルとかきゅるるという音を立てて腸の中をガスが悠々と通っていく事もある。

 

自分の身体なのに何故にこんなにも近くて遠い存在なのだろう。

 

いつも自分の事は他者を通して強くあぶり出されるし、わかっていたつもりでわかっていなかった事を大人になって知ることが多い。もしかしたら死ぬまで気付かない事もあるのかもしれない。

 

そして起きもしない未来に怯える想像力は長けているのに相手を慮る想像力に関しては何故に乏しいのだろうとも思う。

 

遠い未来の計画をするのはとてもスリリングで楽しい行為。

 

けれど、そこに縛られすぎると地上0.5cmに浮いている綱の上を歩いている感覚があり、対応しきれずまた地上に振り戻される事がしばしばある。

 

でもその地上でのワークをひとつひとつ進めていく事で茎が育ち風雨でえぐられても土寄せをして地上とその0.5cmの境目がじわりじわりと距離を縮めていくのではないかとも思う。

 

答えは今このときにしかなく、何をこんなこと。。という些細な行為、言葉がその茎を太くしてしなやかに、どんな強風にも耐えうる身体を作ってくれるのではないか。

 

何かにモヤモヤしているとき、それは身近な事をクリア出来ていないから喉に魚の小骨が引っ掛かっているような違和感を感じる。でもその小骨は不幸中の幸い、ラッキーボーン。

 

何を見つめるべきか、改めて省みるチャンスなのです。

月が綺麗な夜に 

昨日駅のエスカレーターに並んで上に昇っている時、眼をつぶって身体の感覚だけでエスカレーターを降りてみようとした

 

光がぱーっと入ってくるのをまぶたの裏で感じながら身体が平行になったな。。?と思って眼を開けると何段か手前だった

 

足裏に感じるあのガコン、というエレベーターと地上部の境目を感じる前に眼を開けた

 

やはりちょっと怖いんだろうなー おしい

 

 

眼に見えることを一時的に遮断して見えないものに思いを馳せてみる

 

すると不思議にも他の器官があらゆる情報をキャッチしようとする

 

ただ私はその感覚を最後まで味わえなかっただけ

 

それは怖かったから、エスカレーターでつまづいてしまうんじゃないか、転んでしまうんじゃないか、変な眼で見られるのではないか

 

そんなあれこれが邪魔をして眼を早く開けてしまった

 

 

頭であれこれ考えてしまうその前に自分の感覚を信じる
全身全霊で、つま先にまで神経を張り巡らせて

 

この時私は嗅覚まで鋭敏になれなかったけど、もしかしたら地上に近づくにつれて地上で起きているあれこれの匂いも感じ取れたのではないかな、今度また挑戦してみよう

 

 

月が綺麗な夜に

身体と魂が一番生き生きしていた時間、からのヒント、とか大豆ミートとか 

梅雨入りしそうですね。

 

人間にとっては憂鬱になる時期でもありますが、植物にとっては恵みの雨。発酵も進むし巡ってくる季節に何も間違いはないのだと思わせてくれるような時期に感じます。人間ももちろん何かしらの調整期間ではあるんでしょうが。。夏に向けてコンディションを整えていくような💪

 

 

今朝、ふと降りてきたメッセージがありました。

 

歳を重ねたら衰えというものは必ず訪れる。けど、その衰えはシンプルな事を継続していく事で大きなものにはならないんじゃないか

 

といったメッセージでした。

 

また、自分の人生を振り返って身体と魂が一番元気だった時期はいつか?と言った問いもあったので考えてみました。

 

14〜16歳くらいかな。。?

 

身体の疲れは何のその、というのはこの数字が物語っていますが、この頃の私はファッション雑誌を隅から隅まで読んで色んな洋服は自分で作る事が出来るんだ!というスローガンをもとに実験しながらあれこれ誰の目も気にせずに自由に布を裁断したり縫ったり、そういえばフリマも初めて参加した時期だったかもしれません。

 

思い返せば、家族が作ってくれたご飯を3食食べて友人と意味もないことで笑い、勉強はそんなにしていなかったかもしれなかったけど良く寝ていたように思います。

 

そう、私に必要だなと思ったシンプルな事とは朝ごはんとお昼ごはんをしっかり食べる。晩ごはんは軽めに食べる。しっかり寝る。これ位です。

 

でもこんなシンプルな事が出来ていなかった。ほんとそれだけなんですよねえ。。

 

 

社会人になってからというもの、サービス業がほとんどだったのでご飯を食べる時間は大幅にずれる事が多かったし(デスクワークの時はもう定時にご飯!という感じだったのでリズムが掴みやすかったと思います)、日付が変わってから帰宅することもしょっちゅう。そりゃシンプルな事も難しくなるよな。。とあまり自分を責めない方向で都合よく考えています😂

 

でもそれがあったから今この気づきがあるので!良い教訓です。

 

とにかくそれをやり出してから調子が良いんじゃないかな〜と勝手に思ってるのですが。身体もだけど心も。ちょっとの事でくよくよしなくなりました。

 

あと、時々変に暴走する食欲が少し収まったように思います。

 

実験的にですが、この前の休日に少しリズムを狂わせた日を設けて見たのです、が、うーん、やっぱりほんのちょっと調子狂う感じでしたね。そういう日があってこのシンプルさの偉大に気付けるので良いのですが、たまにで良いなと。

 

やっぱり自分で手をかけた分、身体は応えてくれるのだと思った出来事でした。

 

 

とか言いつつ、今朝は仕事の前に近所のドトールで朝食を取ってきました。ここ最近真面目にお弁当も作っていたのでガス抜きの日が欲しいなと思って。そしてしばらくパンを禁止していましたが今朝は許しました(だってドトールさんはご飯メニューはないから)

 

そしてその朝食の時間が何だか良かったのですよねえ🥯☕️

 

テラス席で食べたのですが、なるべくスマホを見ずに環境音を聞いて良く噛むことに一生懸命になってみたり。ちなみに大豆ミートのサンド・柚子胡椒豆乳ソース(だったかな?)とお腹が少し緩かったのでアメリカンにしました。大豆ミート美味しかったです。

 

いつだったか大豆ミートのハンバーグも食べたことがありましたが美味しいですよね。ベジタリアンやヴィーガンの方も日本でどんどん増えてきているし、チェーン店でそういったメニューがあると嬉しいんじゃないかな?その方達に限らず健康面で配慮している方々もいらっしゃるだろうし。

 

ベジメニュー、日本はまだまだ浸透している状態ではないですよね。。その中で外食しづらかったり理解してもらえなかったという状態もあったのではないかと思うので、色んな人がいるんだ、という理解が拡まってきている事の証だと思いたいです。

 

自戒を込めて、ですが、眼の前にいる人が自分と同じ考え・食の趣向を持っているわけではないと認識するのが第一歩かなあと思います。何と言ったって身体が違うので、インターネットやテレビでこれが良いよ!と言った食品が必ずしも良いとは限らないのです。

 

話が長くなった上に脱線してしまいましたがここまで読んで下さいまして本当にどうもありがとうございました。

 

先の事にくよくよせず、今という時間を感じきり楽しんでいけるような日々を送れたらと思っています。皆様もどうか本日も良い梅雨前の一日を🌞

死んでる様に生きるのはノーセンキュー

5月について半分記憶喪失状態ですが、過ぎ去るのがとても速かったし新しいことが色々と始まったりして慣れない事ばかりで生活のリズムを整えるのが難しかったように思います。



天気も不安定で心も身体も不安定だったように思いますが、色々あっての今よね、と思っています。

実際下旬には吹っ切れたようにガンガン歩き回る時間を作ったりして新鮮な空気を味わってきました。というのも少し遠出してきたのです。それは聞きたいお話会があり、たまたま休みも重なって、しかも後押しをしてくれる様に仕事もスムーズに片付いたりお天気も急に晴れてきたりこれは行くしかないと、少し疲れ気味の脚で向かったのですが、現地に着いたらその脚の疲れはどこへやら。それだけ身体と心に風が吹き抜けた数日でした。



その場所は何十年も前に訪れた事があるのですがその当時の記憶は全くなく、でも何だか全体的に懐かしい感じがする街、空気がとても軽くて人も良い意味で丁度良いという感じでとても居心地が良かったのです。

ほんと何というか帰るのがとても惜しくなってしまう感覚とはこのことか

まずは本を通じてしか知らない方の生のお話を聞けたこと、それは行きた書籍を読んでいる様な感覚で、でもそこには本だけでは味わえない音や匂いや感覚がある。そして同じような興味を持った方々が集まっている空間の中に身を置くというのが稀有な様な、必然の様な不思議な心地よさと刺激がありました。



こうして非日常に身を置くことによって自分の日常を俯瞰して観れるのだなあとも改めて実感する事ができました。

少し仕事や日々について視野が狭くなっていた辺りだったので私の事を知らない人たち、土地に脚を踏み入れるというのは本当に自分がまた生まれ変わるような体験なのかもしれません。



そしてまた日常に戻ったわけですが、ちょっと、今までにない感覚が襲ってきまして。。

それは、“生きる!“と事を唐突に強く意識し出したことです。

当たり前のこと過ぎて恐縮なのですが、ちゃんと食べてちゃんと寝る。そんな当たり前の事をきっちりやりたい。そこにエネルギーを注ぎたい。ちゃんと自分のコンディションを整えていつでも自分の真ん中に入れるようにしたい。

そんな事を強く思いました。

それは真面目にやる、という事ではなく、この身体を大事にして身体を通して今自分の周りにあることを全身で感じ取っていきたい、といった感じです。

死んでる様に生きるのはノーセンキューです。



もうそのことを感じるとふつふつとゆっくり沸騰してくる感じがあって日々のありがたみとまだ見ぬあれこれを楽しめるような、そんな感覚が余韻として残りました。

色んな事が重なってなのかよくわかりませんが、もっとじっくり色んなものを味わいたいなと思えるようになりました。

https://stand.fm/channels/5f79c921f04555115d2523fa




そうそう、この方のポッドキャストを聴き始めたのもあるかもしれません。何だかねー感覚が開く感じがするんですよ。

そうそう、感覚を開く、という練習も強化していきたいと思います。

感覚をシャットダウンしないと生きられないような時代は終わりを告げました〜と勝手に思っています。そんな時代あったのか?というそもそもの問いがありますが、それは私が勝手に作り出していた想像の時代なのかもしれませんね。

感覚を開いて生きていける時代はもうとっくに存在していたけど私が気づいていなかっただけです。



梅雨が始まる6月だからこそ自然のたてる音に耳を澄ましていきたいと思います。



梅雨冷えもあるかもしれないので身体を温めて過ごしていこうと思います。
長文読んで頂きましてありがとうございます

小さな巨人 

 

5月は色んな感情と共に目まぐるしく変化を遂げているような季節に感じます。それは野菜の生長にも似ていて暖かくなって多くの生命が目覚めだして太陽は高く風も心地よい、でも自分の身体がぐんぐん上に伸びていくというのは想像以上の変化体験なのではないでしょうか。野菜の気持ち、を勝手に想像。

 

そして生長と同時に周りにいる虫たちに身体を食べられたり、それでも共生する力、自己のアイデンティティをきちんと持っている姿を見れる時は何より嬉しい気持ちになります。

 

色んな感情が本当に自分の中にほとばしり、複雑になったり悲しくなったり後悔してしまう事もあったりしたけれど、その時その決断が自分にとって最善だった、と思えるようになったかもしれません。

 

うっかり自分のことを責める、責め責めモードに入る瞬間もあるのですがそれはかなり健康的ではないという事に気づいたし、何より自分の事を許してあげると他者をも許してあげられる。と私は思うのです。

 

だから誰かを攻撃している時は自分の事を攻撃しているのと何ら変わりないように思ったりもします。

 

そんな事を体感出来たということは他者の存在があってこそなのですよね。

 

それは良い体験もあまり心地が良くない体験でも自分が見ている世界であってそこには色んなメッセージが散りばめられていると思います。

 

というか、今月はすてきな友人たちとの対話やメッセージのやり取りが多くて、そして新しく出会ったひと達との刺激を通してまた新たな自分を発見したり、何だか大袈裟だけれど生きているって、ただ息をしているだけでとにかくすごいんだなあと感じます(大袈裟😂)

 

 

そうそう、その中ですてきなご家族に会ったお話をさせてください。

 

お仕事上でお会いしたご家族なのですが、とにかく何だか良い気しか感じなくて。というのも話していてとても気持ちが良いしカラッとしているし、何より物事を「できるか、できないか」ではなく「やりたいか、やりたくないか」で考えているのですよね。

 

もちろん、できるできないも考えていらっしゃいました(お金のこととか、場所のこととか、物理的な条件諸々を)

 

でもその根底には「やりたい」という気持ちと「その選択は気持ちが良いものなのか」という感覚をすごく大事にしているように私には見えました。

 

そしてお話していてすごーく感動したのが、ご両親がお子さんの意見というものをすごく尊重していらっしゃるということ。

 

元々、今回私たちのところにお話しにきた理由はお子様が「やりたい」という意向があったみたいでご両親はその意見を汲んで色々と調べた結果ここにたどり着いたとのことなのです。

 

でもその、物理的な条件とか色々絡んでくるとどうしても大人の話になってしまうというか、最初は子供が言い出しっぺだったけどいつの間にか大人の話になって「じゃあやるか」か「やっぱ難しいかも」という話の展開になることって多いのではないのかと思います。

 

けれどそのご両親は一つひとつお子さんに「あなたはそれを本当にやりたいと思っているの?それはできることなの?」ということを確認していました。

お子さんの事をひとりの人として認識しているようでとても眩しく見えました。

 

 

私は「小さな大人」という言葉が好きです。

 

小さな大人とは子供の事。

 

子供はただからだが小さいだけで大人よりもはるかに人間らしい小さな巨人だと思っています。

 

思わず自分それ出来てるかなーと思いました。仕事でたまに子供と接する事もあるので。いや、出来てるかどうかではないですね。やりたい、です。

 

すごく良い出会いと対話をありがとうとお礼を伝えたくなりました。

 

一つひとつ丁寧に体感していく。その積み重ねがとても幸せなのではないかと思う最近です。