ゆっくり確実にあるけば痛くない / 2020〆

2020年〆の一日。そして12月毎日更新するという自分との約束を達成したど。。!

私は昔、”きれいなもの”に嫌悪感を抱く事がしばしばありました。でもきれいなものに触れたいと思う理由が今年は少し、わかったような気がします。美しいものに触れるとそれだけで心が満たされるのです。だから12月のブログには記録も兼ねてそういった風景を集めたいなと思ったのでした。

今年の収穫?として散歩道の間にとある公園を見つけました。その公園は夕陽が素晴らしく見える場所で形状は縦に長細い形をしています。実は行くたびに試みている事があります。それは、その縦長の公園を後ろ向きに歩く事です。(誰もいないときに(笑))

結構スリリングなんですよ。その縦長の空間にはぶつかるものは出口付近の時計塔位なのですが、いざ歩きはじめると背中に異様なプレッシャーというか、恐怖心を感じるんです。

「もうそろそろで時計塔にぶつかってしまうんではないか」という不安が後ろを振り向きたい欲求を駆り立てます。でも、振り返ってみると時計塔は全然まだ遠くにある。そんなとりこし苦労をした事が何回かありました。

でも、今日気づいたのです。ゆっくりと確実に歩を進めていけば時計塔にぶつかってもなんてことないのです。もし速度を速めてぶつかってしまったら痛いけど、ゆっくりとだったらぶつかってもせいぜい”コツン”で済むんじゃないでしょうか(というか、実際に今日やってみたらそんな感じでした)

まわりくどい言い方になってしまいましたが、何かを進める時、不安は抱えていても良い、けれど、ゆっくりと確実に進もう。そんな風に思いました。

今年は激変の年でした。でもそんな中で周りにいてくれる友人や家族、言葉こそ交わさないけど同じ街に住んでいる人々、エッセンシャルワーカーの方々、医療従事者の方々、虫から動物から共存してくれている全ての方にありがとうと伝えたいです。そしてこうして身体が動いて今日もご飯を食べて一日を終えれる事がただただありがたい。

そしてこのブログも始めてはや半年ですが、いつも読んでくださっている方々へもお礼を伝えたいです。ブログへのリアクションを頂ける度にいつもとても励みになっています。ありがとうございます。

2021年は私に出来る事で誰かの為になれるような事がもっともっと増えていけばよいなあ、と思っています。

今年度は本当にどうもありがとうございました。来年度も何卒宜しくお願い致します。
良いお年をお過ごしくださいませ!

2020年12月31日 お蕎麦とアイスを食べ終え、年を過ごす準備万端の 平山真澄

風に吹かれているジャングルジムの上

昨日ZOOMでとあるオンライン講座を受けていたのですが、教えて下さっている師匠から

「闇と光がどちらもあっても良いんですよ、陰陽のマークみたいに」という言葉を頂いた。改めて本当にそうだよなあ。。と思い返しているところです。だから僕は大好きなアイスを食べます、その分身体温めますよとも言っていたけど(笑)

そして昨日なんだかこれに関連するような言葉をキャッチした。

「正解で溢れたこの世界がこんなにも息苦しいんだなと知って。。」

これはキングコングの西野さんが発していた言葉です。

全てがそうとは言わないけれど、確かにそういう風潮はある様な気が、する。もしくはそうでなければ(正しくなければ)いけない、と自分の内側に知らず知らずのうちに刷り込まれているものが世の中を眺める色メガネとして存在しているのかもしれない。それは仕事だったり人間関係だったり、あらゆる事に関してジャッジして自分で自分を制限している、そしてそこには限界点というものがある日ポンと現れたりする。

今日の分の大掃除が終わった後、公園でパンとコーヒーでお昼にしていた。その時に公園で威勢よく遊んでた子供たちの会話。

【登場人物】
・とある兄弟(兄(七歳位)と妹(四歳)
・活発な女の子(七歳位?)
・きっと兄弟兄の友達の男の子2人組(おそらく兄と同級生)

ジャングルジムの上で遊んでいる5人、どうやら兄と同級生の男の子のうちのひとりが、兄の妹に物を貸すか貸さないかの問題でやらかしてしまったようです。

兄(同級生に向かって):「ちょっと、ちゃんと謝ってやってよ、俺の妹まだ四歳なんだからさ」

活発な女の子:「そうだよ、謝んなさいよ。優しくしてあげなさいよ」

同級生:「。。えー。。(謝んなきゃいけないの?俺なんか悪い??)」

もう一人の同級生(はっきり言ってどうでも良さそう):「●●君は、謝らなきゃいけないんですかああ~~?」

兄・活発な女の子:「そうだよ / そうよ」

同級生:「。。。ごめんね」

妹(ここで初めて言葉を発する):「いーいーよ!」

一同遊びに戻る。わーーーー

– FIN –

この会話が聞こえてきて思わず読んでいた本から顔をあげてしまった(満面の笑み)。間違いも子供のうちにいっぱい経験して、許す事を覚えて、なんだかその一連のプロセスがとても尊く感じたのです。その時読んでいたのが大人の男女の複雑な心境を描いた向田邦子さんの小説だったから余計にコントラストを大きく感じたのか(笑)

間違いが当たり前にある世界、そう思える事でだいぶ肩の力を抜いていけそう。正直なところここ何年かの私は今よりももっと自分で自分に制限をかけながら生活していました。「こんな事をやっていちゃ生活できない、ここはこういう場なのだからこうするのが当たり前だ、こんなことも出来なければ自分はだめなんだ」などなど、挙げればキリがない。正しくいなければいけない、という強迫観念にノイローゼになりそうな感じだったのだと思う。

闇も光も、正解も間違いもどちらもあっても良い。というか正解・間違いと論じる事自体がなんだかしっくりこない感じもする。正解・間違いを問う以前に自分はどう考えるのか、何を感じるのか、その上でどう行動するのか?“個”としての自分を問う、その上で人間なので闇や光の感情も出てくると思う。でもそんな営みがとても人間らしく、またしてもこの言葉を使用して恐縮なのですが、尊く感じる今日この頃です。

一日一笑

今日、商店街の方へ買い物に出かけたら平日だというのに沢山の人が溢れていた(後、銀行も!)。そうか、仕事納めをした人達はもう休みなんだなあ、となんだかしみじみした。きっと仕事納め等なく、働き続けている人達もいるのだと思う。皆さん、本当にお疲れ様です。

年の瀬なので、「今年は凄かったね」という会話になる事がある。今日も今年一緒にお仕事させていただいた方とメールでやり取りをしていた時に、大変な時だったけど参加できて良かった、という事を話していたばかりです。

きちんと振り返りの作業をしたいのだけど、年の瀬という事もありなんだか慌ただしくまだまだ時間がかかりそうです。でもざっと振り返っただけでも本当に変革の年だったには違いない。仕事も生活も考え方も、変わったと思う。

変わった事と言えばひとつ。私今までお笑いに興味がそれほど持てなかったのですが、この一年で以前より芸人さんに対する興味関心が増えた様な気がします。勿論、バラエティ番組を10代の頃はよく見ていましたが熱狂する程ではなく。今も熱狂しているかといわれると、そこまででもないのですが「芸人さんて凄い」と前よりも強く思うようになりました。それはやはり「笑い」を追求しているからなのか、あの頭の回転の速さと巧みな言葉づかい、そして独特の業界の雰囲気。

何より、笑いって健康に凄く大事だからどんなにつまらない日だったとしてもお笑いを見て笑わせて頂ければなんだか良い一日だった、結局!と思える自分もいるのかもしれない(笑)それはそれで幸せだ。

ほんと、今のご時世って生きているだけで、笑えるだけで奇跡なのではないかと思うのです。だからどうぞどうぞ、皆さん自分の事を労ってあげてください。

そしてお笑いと言えば、ある方がこの番組をお勧めしていまして、興味本位で見始めたら、芸人さんのトークスキルも手伝ってかいつのまにか引き込まれていてあっという間に時間が経っていました。この番組こそ、「時代が変わったんだなあ」と思わずにはいられませんでした。TVだったら言えないような事ばっかりなんじゃないか。。?今沢山の芸人さんがyoutubeやってますし、ほんとこれから何がメインになっていくのだろう。というか、youtubeってテレビでは観れないんですよね?なんかそのうちそれも可能になりそう。

一日一笑!

スナフキンになるまで

ベンチに座ってふと、上を見上げたらすごくきれいだったので写真を撮った。

今日、とある展覧会に行った。作品が良かったのは勿論なのだけど、空間がすごく気持ちが良い所で、来る度にいいなあと思うのでした。ただその展覧会は写真撮影不可なので記録したい気持ちをぐっとこらえながら、記憶に刻もうと強く思った。

以前どなたかが、写真は撮っても結構見返さない、だから覚える方が良い。と言っていた事をふと思い出した。確かに、私もそんなに見返すタイプではない。

でも、良いなと思ったら結構すぐ撮っちゃうけど。こうしてブログを書いて写真と一緒に載せたいと思う気持ちや良い風景はシェアしたいという気持ち、また、意識的に記録したいという気持ちも常に同居している。

そしてこうした”撮れない”という条件下にいると何を残したくて何を残さなくても良いか、くっきりしてくるなあと思った。そして本当に覚えていたい事は、少しずつ時間と共に変形してくるかもしれないけどいつまでも覚えていると思う。映像だけではなくてその時の音や空気、匂いと共に。

そしてもし撮れない状況にいても、その場を共にしている誰かがいれば、その情景は色濃く刻まれるのかもしれないと思う。

スナフキンの様に身軽には、まだまだなれそうにないです。

2021年の手帖

ここ最近、あ、これは良い考えだなと来年に向けて思った事が色々あったけど書きとめられないままに日々が過ぎ去ってしまっていた。そんな中、ようやく2021年の手帖を購入。。!あれこれとこんな風に進みたいという事をちょろちょろと書いていました。

ここ何年か、手帖はいつも決まったところで購入していたのですが、そこが来年度の手帖は出さないというショッキングなニュースがあり(泣)その手帖には月の満ち欠けから二十四節気や七十二候、天赦日まで表記してあり、とても重宝していました。

でも、この事で思い立った事がひとつ。

「自分でそれらを(二十四節気等)を記入しよう」

と思ったのです。

ちなみにいっぺんに一年分を記入してしまおうかとも思ったけど、ちびちび一ヶ月分にしようかなあと考えてます。

自分で調べて記入する方がきっと覚えれるし意識に昇ってくるだろうし、なにより一ヶ月分を調べて記入する時間を設けるって良いなあと。

記入と同時に予定や計画の見直しと再設定、一度立ち止まってゆっくり考える、という事をできればお気に入りの場所で行いたい。手間は掛かるけど、その掛かるであろう分の時間を逆算して心地よい時間配分を演出するのもこれまた2021年の課題だったりもします(汗)

だから、あの手帖を使えなくて残念な気持ちもあるけれど、新たな可能性と挑戦したい気持ちが突然メラメラしてきたのでなんだか感謝の念が沸いてきました。頼ってた=少し依存心もあったのかなあ、と。

昔の人々は気象や動植物の様子を見て季節の移り変わりを日々、細部まで感じ取って生活していたんだろうなあと思います(もちろん、現代でもいらっしゃると思いますが!)。私は割と鈍感な方だと思うので、気にかけつつゆっくりと観察しながら余裕を持って生活したいな。。なんてぼんやり考えていました。

そう、ゆっくりと、丁寧に。。課題(笑)

storesサンタさんとビスケット

今日も素晴らしく空が青かったですね。

最近、パソコンやスマホに触れる時間を意識的に短くしました。何故かというと。。自分が思っているよりも眼や肩、身体全体が疲れていたから。私はこの様にコントロールできるけど、お仕事でどうしてもPCやスマホを使わなければいけない、という方々は本当に大変だ。。お疲れ様です。

でも、スマホなどを見る事でストレス解消していたり、癒されている人もいると思うので(私も昔、そんな時期がありました)良い・悪いと言えることではないと思います。塩梅なのかなあ、と。少なくとも今の私にとっては情報過多の状態になっていたみたいなのでクリーニングするタイミングだったのかもしれません。

ちょっと抽象的なもの言いになってしまうのですが、最近特に外側で起こっている事だけが全てではないなあと思います。見えない内側、水面下で物事はぐるぐるとうごめいていて時期がきたら外に飛び出してくるのかなあと。

だから、今の状況に納得いっていなくても内側では進んでいる、という風にマインドセットだけは出来ると思うのです。

だから身体に疲れがでたらそれは何かのサインで見逃さない様にしよう、と思うのです。身体だけではなくて色んな事に当てはまると思いますが。。!

そうそう、一つお知らせさせてください。storesさんから早目のクリスマスプレゼントが届きました。

オンラインショップで3,000円以上お買い上げ(送料は含みません)の方には300円のクーポンが配布されるようです。

期間は12/23~27 23:59まで。

おひとり様一回限りです。

もし良かったら覗いてみて下さいね:)
https://masumihirayama-aat.stores.jp/

温かくしてお過ごしください!

ちなみにサンタさんで思いだしました。海外ではクリスマスの際子供達はベッドの脇にビスケットとミルクを置いて寝ると。。?(経験がある方の話を聞いてみたい!)なぜビスケットかというと、それは旅人の為の食べ物だから。昔の人はパンを二度焼きしたものを(ビスケット)保存食として旅に持参していたからとか。

そう言われてみるとサンタは旅人ですね。。かなり重労働な、しかも一夜限り?!そしてビスケットを喉に詰まらせないようミルクも。。私も置いて寝ようかしらん。

本日ラジオから仕込んだにわか知識でした。

台所の片隅で発酵中

茹でてマッシュしたさつまいもに麹を混ぜ込んで発酵させています。

うまくいけば良いんですが。。麹を混ぜるタイミングが少し遅かったのではないか疑惑。茹で汁(塩茹でしました)が少し出たので飲んでみたら美味しくて身悶えした。

にしても、身悶えするポイントが地味(笑)