野生の本能は今でも脈々と

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私の故郷は岩手県大船渡市というところなのですが、板用肩怒剣舞という郷土芸能があります。

私の母方の実家が板用地域にあり行事があるとこの剣舞を眼にすることがありました。

絵や写真であなたの好きな街自慢をしよう、という公募があって思わず故郷の事を考えた時に自分が生まれた街には何があるだろう?

秋刀魚か?牡蠣か?いやそれとも帆立?と考えていたら頭に浮かんだのはこの剣舞でした。

というわけでこの絵を作成したのですが(結果は。。うううっ😑)

この舞は平家の亡霊を鎮める為との諸説があり、ささらを持った一遍上人が次々と亡霊を浄仏させていくのが格好良いのです。また、いつも不思議なのですが鑑賞していると程良く瞑想状態に入れます。

長く踊り続けられているって事はずっと浄仏を捧げている事とも考えられるんだな、と思ったらちょっと鳥肌たちましたが。

私は戦争を経験したことのない世代であり想像できないところが大きいです。しかも平家や源氏の世界って。。今よりもっともっと人間が野生の本能を持って活動していた時代なのではないかと思うと、この両家の合戦は想像も出来ない位のものだったのでは、と考えてしまいました。そりゃ怨念も枕元に立つよね。。

余談ですが、最近テルマエ・ロマエを観ました(面白かった。。!)傷ついた古代ローマの兵士たちがテルマエ(浴場)で治癒をする場面があります。きっと、この方達は回復が早いんだろうなあ。。野生の力が強いんだろうなあ。。なんて思っていました。

そんな長い歴史がある舞に対して気軽に制作に取り組んでしまいましたが、舞を踊った事がある友人や従兄弟に話を聞いたりして何だか楽しかったです。

(以下のリンクで剣舞が見れます)

https://m.youtube.com/watch?v=Z9jK6DhvMlA&feature=youtu.be

スニーカー/ひと花咲かせよう/言葉は魔法

何年も履いて靴底も減ってきたスニーカーをいま一度綺麗に洗い直してアクリル絵の具を二度塗り致しました。。!

ふう

少し時間をみつけては塗っていました。なかなか無になれて楽しかったです。

なんだか楽しそうだなあと思ったから塗った、というのが本音。。もう使えないかなーと思っていたものが復活劇を遂げるとおおおおお~となるし(笑)

ここから話が少し脱線します。

昨日私道路を自転車で走っていたのですが道も混み合っており人もまあまあ多くなかなか進まない場面がありました。その度に心の中で

おっせえなあああああああああ

と呪いの言葉の様に吐いていました(今更だけど口悪いっす、自分。性格も(笑))

でもですねー、その日の終わりにとある方から

「遅い」

という言葉を頂きました(とほほ。。)

いくら自分が心の中だけで思っていたことだとしても、因果応報の法則でそれはやはり自分に返ってくるものなのだなと思いました。

遅いと思ってしまうのはしょうがない。でもそれをポジティブな方向に転換できなかったのですね。もしくは「信号変わるの遅い!」よりは「信号待ち長いな、一旦落ち着けという事か」だったら感情から少しは離れて物事が見れてるでしょうか。。(無理やり?)

色んな事や人々から学ばせて頂いております、小市民です。

でも今日は「暑い中ありがとうございました!」と爽やかにお声を頂いた一件がありまして心にとてもとても爽やかな風が吹きました。

言葉一つでその日一日がこんなにも左右されるものだと、言葉ってやっぱり使い方を間違うと呪いにもなるし、良い方向に向けばビタミンにもなる。

これからの人生の中でどれだけの言い回しを知り、それをどの様に素直に伝えられるのだろう。

やっぱり言葉は魔法です。

スニーカーの話から大分それちゃいましたが。。!そんな事を思ったので書きしるしておきたいと思います。

週末はお天気が荒れるみたいですが、どうぞご自愛下さい!

化粧水がない日々は過ぎ去り今は

最近作ったもの

化粧水

https://www.timeless-edition.com/archives/7686

timeless-editionさんのサイトを参考にしたのですがこんなに簡単に出来るのだとびっくりだった。薬局で気軽に材料も購入できるし(私が作ったのはレシピ2)

長らく肌の筋トレと称して化粧水断ちをしていたのですが、これにて復活。(化粧水はつけていなかったけど、ココナッツオイルはつけていました。けど、”水”ではないですから。。肌に浸透していくといった体感はなく、あくまでも表側をカバーしてくれている感覚。)

なぜそんな事をしていたか?

そもそも目的は肌の土壌改良的な事をしてみたいという事が発端でした。潤いをもっと内側から沸きださせる事はできぬかと。

そんな日々をくぐり抜けての今、化粧水をつけて思う事はとにかくしっとりする、後、暑い日に冷蔵庫から出した化粧水をつけるのがめちゃくちゃ爽快!

です。

フツー(笑)

そして筋トレの結果はどうだったのか??肌質は変わったのか?という事を考えてみました。

肌がどの様に変わったか?という事は正直なところよくわからない。つまり外側にそこまでの大きな変化を感じられていない。

歳を追うごとにしみやそばかすが増えたのは確か。しかしそれは化粧水だけではなくて生活習慣や食生活の影響ももちろんあると思う。2年位前かな?増えた時期があった。でもその時は日付が変わってようやく家に帰れる。。といった生活スタイルを送っていた産物の様に思っている。なんにしろ自分で自分をきちんとケアできていなかったのです。

とにもかくにも特に問題なく過ごしてはいたものの、やはり冬は乾燥が激しくなるし、夏は夏でダメージを受けやすかった様に思う。

ただ、化粧水をつけ始めてひっそりと感じている事がある。

感覚が鈍くなったように感じる。

つまり、顔が化粧水をつける事で安心しきってしまっている様に感じるのだ。

今から書く事は科学的根拠はありません、ただ私が体感した事で思ったことを綴ってみようと思います。

畑を始めたばかりの頃、アドバイザーの方からこんな話を聞いた。

「土の下は他の畑同志でも繋がっていて、水が足りないなと感じたら他の区画から吸い上げるんだよ」と。

もしかして人間の身体も近い様な事をやっているのかな?とこの時ふと思った。

だから化粧水をつけない事によって身体のどこかから水路をひっぱってきていたのではないかと。でも、その水路がしっかり機能していないときっと肌は潤う事はないのかもしれない。

つまり、腸の調子が悪くて脱水症状をおこしていたり、寝不足で血がきちんと生産されなくて栄養もきちんと吸収できない、身体という土壌の水はけが悪いと他の水不足のエリアを助けてあげる事ができないのです。

つまり、自分の肌を自分で面倒みれるあかつきには身体の機能もうまく回り始めているのかもしれない。。

そんな妄想がぐーるぐーると回っておりました。

だからもう一回人体実験。化粧水をつける日とつけない日を設けてみようかな~と思ってます。これがあるから安心、というのではなくて自分の身体でまるごと安心できるようになれたら良いな。。というのが理想、です。

なんかよくわからないけど、人間の身体って面白い。

きゅうりトースト

畑でおおおおきなきゅうりがとれたので前々から作りたかったなかしましほさんのレシピ、きゅうりトーストを作ってみました。

https://mobile.twitter.com/nakashimarecipe/status/1295627889811968001

ハムとバターがなかったので、ハムはなし、バターの代わりにオリーブオイルを回しかけ塩をパラパラと。しょっぱみを出してました。

シンプルだけど、うんまいい🥒🥒🥒

村上春樹さんの小説で主人公がよくシンプルサンドウィッチを食べておりますが。。シンプルなサンド程難しいものもない。。と思ったのはもっときゅうりの水切りをした方が良かったかもと思ったから。マヨネーズに絡まって水っぽくなっちゃいました。

この日きゅうりトーストを食べる予定はなかったのですが、突然食べてみたい!と思って作ってみました。

最近、日々のささやかな願望を少しずつ叶えてあげるという事がどれ程自分自身を作っていくか、その偉大さに驚いています。

大きな夢なんて追わなくていいから眼の前のささやかな願いを大切にしてあげると自ずと道が拓けていくんじゃないかなあと思います。

残念ながら自分は聖人ではないので心が荒んでる時は全くそんな風に思えないんですけどね(爆)😂心の中は竜巻ですよ。オラオラオラオラとか鼻息荒いし🌪

でもそれがあるから上述したささやかな願望を。。といった事を思えるわけでもある。

都合良く考えてなんぼ!オラオラしてても良いからきっちり飯食って寝ろ、早起きせいと鞭打っております。

バランス感覚、大事。

今週もお疲れ様でした。

良き週末をお過ごし下さい!

理想は果物がいつもあるキッチン

先日購入したおいしいいバナナ(安くなっていたので買ってしまった。。)をスコーンに練り込んで焼いてみた。

前回焼いた時は豆乳も混ぜたのだけど、今回はバナナだけで生地をまとめあげる事ができた!粉の量にもよるんだろうけど、豆乳いれると生地がだるだるになりパンに近い感じ(ビスケット?)の食感になった。

バナナだけだとしっとり感があるし甘みが効いている:)

て、これだけの記事なんですが、バナナの底力を垣間見た朝でした。

最近暑くなってきたから野菜や果物をふんだんに使ったスムージーなんかに眼がついついいってしまいます。

そしてここ最近の私の理想は何かしら果物が常備してあるキッチンです。果物ってなければないで過ごしちゃえるんですよね。。(私の場合は。水分もその傾向ありだから意識的に取る様にはしているけれども!)

果物も意識的に摂取してあげると心も身体も嬉しいと主張している様な気がする。

最近改めて健康のありがたみを感じることが多いです。一日に一回は身体に良い事をしてあげたいなと思います。(早く寝る、とかスマホデトックスするとか)

そして食にまつわる皆さんへ、今日もおいしい作物をどうもありがとうございます。

軽やかな水曜をお過ごしください:)

もう違うんだなと思った話

昨夜晩ご飯を食べ終えた後に外の空気を吸いたくなってふらふらと公園へ散歩しに行きました。

吸い寄せられる様に行ったその訳は

自然不足

とうすうす感じていたからです。

前回の投稿でも少しふれましたが、外側に向けて力を発散していた故、一直線にしか物事を見れていなくてこの季節の花々や植物、気候のちょっとした変化に鈍感になっていた様な気がします。

これに比例するように自分の心の中が

生活<仕事

になっていた。

なんか時間節約の鬼!みたいになっている部分もあって、効率的になるべくスピーディーに、無駄がなくといつも考えていてインスピレーションも降りてこないというか、考えるってなんだっけ?みたいな状態になるんですよね(私の場合は)。

つまり私は自然に日常的に触れて思考に余白を持たせてあげた方が日々をもっと楽しめるな、との気付きを得る事が出来ました。5月はまだそれが上手い具合に出来なかったのだと思う。昨日こう出来たら良いな。。というスタイルを実験的に行ってみたらいつもより上手く出来たので一筋の光が見えました。

そんな事を考えていたら、某有名youtuberさんが

経済的に困っている=不幸って煽る人達がいるからその考えがまかり通っちゃってその事を信じて疑わなくなる人もいるよね

っていうお話をされていてついつい聞き入ってしまいました。

確かにお金は生活を営んでいく上で必要です。全くなかったらやりたい事もできない事や可能性を狭めてしまう事もあるかもしれません。だから必要なものだと私も認識しているのですが、不安に突き動かされてお金を得ようとするのはどうなのだろう?との疑問もあります。

「というか、そういう時代をくぐって来たんだよな~」とも思いました。私はバブルを経験した事もありませんし、むしろ就職氷河期の時代に社会に出ていったのでどちらかというとシラけたムードをいつも纏っていた二十代だった様に思います。

就職氷河期=未来がないみたいなニュースばっか流れていたらそりゃ希望も持てないというか、安心安全を求めざるを得なくなるだろうし、当時はインターネットもなかったので自分で世界を拡げようとしないと(雑誌やラジオ、本、音楽、映画、色んな人達に会う・話す、色んな所へ脚を運ぶ。。時間は大いに要するけど着実に身になるプロセス)狭い価値観の中でしか生きられなかった様にも思います。

それが今やひとり一台スマホを持っている様な状況だしテレビから離れる人も沢山いる、何より個人が多様な価値観を文章や動画で気軽にシェアも出来るし、働き方の多様化も進んでいる。

なんか今更だけど、

あ、もうあの頃とは違うんだな

と改めて思ったというか。時代の流れって本当にあるんだ!と肌身で感じた瞬間でした。

それというのもここ最近自己紹介をする場面があったんです。周りには二十代の方がほとんど。

いやしかし。。全然自分の事が喋れなかった!心の裏側を大公開するとキラキラしている彼らを眼の前にこの私のフラついた人生を晒す勇気がありませんでした(笑)

でもその時にハッと気付いたのです。

私、肩書きにこだわってたんだなあ、と。

やっぱり何かコレ!って話せる分かり易いものがあると安心すると思うのです。いやしかし、それって本当に必要???と思えたのは様々な価値観に触れる機会が増えた賜物かもしれません。

勿論、これは私の話です。私は結構くるくるあれこれやってみたいし、何かを極められるタイプではないんです。だからそれが出来る人をいつも羨ましく思っていたし、そうなろうとしていたし、それをコンプレックスにも感じていました。

いやしかし、そうはこの広い世の中そういう風に出来ない人もいるからそれはそれで長所なわけです。

話が拡がりすぎてしまい恐縮なんですが(ここまで読んで下さっている方、本当に感謝です)、何が言いたかったのかというと、

人間力が全て

といっても良いご時世なのではないかという事です。。人間力は何も社交的になるという事では無くて、自分にとって何が心地よいか、自分の価値観を大事にしながら心地よさを追求する、幸せと思える瞬間をつかむ事に貪欲になる事だと思います。

それはやはり、自分の事を尊重できないと他者も尊重できないと思うから。

そしてここ迄来ての、私の疑問はこれからの時代は何が課題・問題とされて行くのだろう?という事です。今、世の中で問題になっている事はいっぱいあるしその中での取り組みも数え切れないほどある。それらはいわば途中経過の様な所もあって、誰も気づいていないような課題にそのうち直面するような気もしている。

。。けど?

問題を問題と思うからそれは問題になっているだけではないのか?

という新たな問いにぶち当たりました(笑)これが新時代の私の課題なのか。。?!

多分誰も見た事のないような未知の世界が待っている、そしてそれを実現させるのは他の誰でもない自分であり自分の思考なのだと思ったのです。

長くなってしまいましたが、そんな事を思った昨日でした。

どうぞどうぞ良い日曜日の午後をお過ごしください。

小満の手記

万物の生気が満ち満ちているというこの時期。草木は育ち実を付けいきいきとした姿を見る事ができる。その一方で疫病が蔓延する時期でもあり怖れられていたそうです。

そんな小満の季節に私はどんな風に過ごしていたかというと。。とにかく動き回っていた様な気がします。そして小満が芒種へと切り替わるちょうど今日辺り、少し落ち着きを取り戻せたような感覚がおとずれました。

それは身体の脱力感から感じた事。昨日帰り道に手の力が抜けている事に気付いたのですよね。「ああ、ここ最近アドレナリン出まくってたんだなあ」と自覚しました(笑)なんというか自律神経の切り替えをもう少し自覚的に日常に取り込んでいきたいなと今回の事で学びました。

疫病は蝿によって蔓延していた様なのですが、確かに生命をもっているものの活動が活発になっていく事を思うとそういったことも起こり得るのだろうと思います。

実は今年の春からシェア畑に参加し、小さな畑を育てています。

実際、ですが、虫と共存しながら作物を育てて行くのって難しいと思い知ったというか、二度目の種まきの後にでた芽を全部食われてしまうという事件が(泣)

でもその虫達を見て、生命活動の為に今ここにいるんだよな~、彼らのマーケットはここなわけか。。と思うと複雑な気分に。私は作物を育てて生計を成している訳ではないのでまだこんな風に言葉に出来るのかもしれませんが生産者の方々はその中で色々と葛藤があるのだろうなと、思いました。

お互いの生命活動が活発になるのは良いけどそこに折り合いというものが必要になってくるんだろうなあと思います。いまの世相にも通じる所がありますが。。(コロちゃんとの事とか)

でも基本的に生きたいように生きて良いというか、ただただ真剣に必死に生きる、それだけで良いと思うのです。偉業を成し遂げるわけでもない、名声を得るでもない、その時代の社会的に見たら批判される事があるかもしれなくてもそれでもただただ生きる。

その中で生じる折り合いにこそ生命活動本領発揮の場面が訪れる様な気がします。

だらだらと書いてしまいましたが、外側に向けて放った力がとっ散らかっているので整理整頓して行きたいと思っております。だからなのかね~、ここ最近文章が書けなかったのは、と公の場で言い訳。すみません。

ひとまず本日はずっと気になっていた壁の埃をとったぞ。。!おふろの天井のカビ取りをしたぞ。。!よくやったぞ。。!