盛岡と牛と第4チャクラ

月蝕の辺からなんだか、ザワザワと心と身体が落ち着かない。。手術も迫ってきている事もありましたが、もうほんと、何だか糸がプツリと切れたように盛岡行の宿と新幹線のチケットを購入していました。

 

そんな中、母にも声を掛けてお茶をしてきました。そんな母とも対面で会うのは2年ぶり。

母には今回の事も含めて足を向けて寝れないし、私の中のわだかまりを解消したいという気持ちもありました。

 

親子関係って本当に多種多様だと思うのですが、私の場合は何故か反撥したり、ことある毎に引っかかる事が多く上手く話せなかった時期がありました。

 

でも今回の大病に罹患した事を伝えた時、「一緒にがんばっぺし」と言われた事が私を大きく変えました。

 

そういってくれる人がいる事が有り難い、またもし仮に遠い先の未来に私が再発した時にそう言ってくれる人はいないのかもしれないと思ったら今までのわだかまりがどこかへふっとんだ気持ちになったのです。

 

改めて対面で話して、私は既に何もかも受入れられていて、許されていたんだなあという事に気付きました。また、私の事を許していなかったのは自分自身だという事も。

 

 

私がやりたくない事の1つに“家族を悲しませる”という事があります。

 

正直いって私はしっかり自分の足で立てている大人には程遠い。。といつも思っていました。だからそんな出来ない自分にいつもイライラしていたのを八つ当たりしてしまっていたのかと思います。

 

でもそれは独りよがりな思い込みだったという事に気付きました。

 

 

多数の著書で癌とは“自分の遺伝子を傷つける事である”と何度も眼にして凄くショックを受けていました。

 

だって遺伝子を傷つけるって、自分で自分の事を殺すところだった。。?おまけに家族やご先祖様までも否定する所だったのか。。?(これはあくまで私個人の見解です。全ての人が当てはまると言っている訳ではありませんのでご了承下さいね😊)

 

 

ぶるぶるぶるぶるぶるぶる

 

うん、どんな時でも自分の味方でいてあげよう。それが周りをも幸せにする。と今はくっきりとわかります。

 

 

色んな話をして見送ったあと、ホテルに着いたら謎の疲れに襲われソファーでぐったりしていました😅色んな事をきちんと話すのにはそれなりにパワーがいるのでしょう。

 

でも不思議な事に。。今まで何悩んでたんだっけ?というかこれからどうすっぺ?という方向に思考が切り替わっていました🤣

 

 

今回の対話で私の中の列車の接続が切り替わったのだと思います。

 

 

そして見てくださいよこれ。。!↓

 

 

 

むおおおおお、点と点が繋がり出して何だか怖いのですけれども?

 

しかも、チャクラでみると乳がんの場所=胸=第4チャクラ

https://www.timeless-edition.com/archives/11819

 

私はここが閉じていたのかね。。??

やや。。ここまでくると本当に心と身体の繋がりというものを考えないわけにはいかない!

 

ほんと、人間の身体は未知であり揺るぎない自然治癒力を持っていると私は信じる。

 

 

私のここ最近のモヤモヤは自分の事を信じてあげる、という事が出来ていなかったのだなあ〜。。

難しいようできっと簡単。一度信じたら後はコントロールを手放してお任せです。

 

 

個人的な事を長々とすみません。でも本当に自分は生かされているのだなと思った出来事でした。

 

忘れがたい盛岡探訪になりそうです。そして母や家族へ、いつもどうもありがとう😇

 

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餅つきを夢みる今日という日に乾杯 

 

心配すること

 

についてこの頃本当によく考えます。

 

 

乳がんに罹患してから(この話ばかりで恐縮なんですけど、これに関するあれこれで毎日頭がいっぱいなんですよね😂でもその分気づく事が多いので感謝しております)、ギフトとしか思えない言葉や気づかいを頂いて、感謝の気持ちでいっぱいなんです。

 

でもその中でふとした時に違和感を感じる事も正直ありました。

 

何かというと過剰な心配、です。

 

 

とある方から過剰とまではいかないけれど、読んでいて少し不安になってしまったメッセージがあった。

 

心配をいただく事自体が本当に有難い。という気持ちには嘘はないのだけれど、不安になってしまったのも事実でした。

 

でもその事を考えてふと気づいたことが!

 

あ、これ自分もやってたわ!!!!!

 

 

がーーん(笑)

 

 

だから余計にモヤったんでしょうね〜〜😅笑えない。学べって事だな、と思いました。

 

私の祖母は極度の心配性の一面があります。そこまで人の心配するエネルギーがあるのなら何か他の事をやったら良いのでは。。と思う事もあるのですがきっと寂しがりやで人の気を引きたい一面でもあるんだろうなと思います。後は単純に、暇か。。(本人には言えない。。言っても伝わるかどうかが謎ではありますが😅)

 

と、笑えないのは私もなので肝に命じようと思います、はい。

 

 

ただ今回のこの一件で心配一つするにしてもどの様に言葉を投げかけてあげるか、奥が深いなと思いました。

 

受け取る相手がどの様な相手かを見極める必要もあるし、その言葉が相手へどの様に作用するか。フィーリングと経験も必要になりますが、やはり未来を感じる言葉を選びたいし。何より、その心配は本当に相手のためになるのか、自分を満足させるためだけにやっていないか?を確認する必要があるなとも思います。

 

 

今日、畑のアドバイザーの方と入院があるので少しの間畑の管理をお願いしました。その際に「絶対に自分は大丈夫だって信じなきゃダメだよ」と、固く約束を交わしました。

 

彼女自身も似た経験があったり、周りのお友達が私と同じ病症に陥ったのを幾度となく見ていたそうで色々とお話を聞かせて頂きました。

 

そして何より、私が今まさに考えていたこと、それは正直なところ大多数の方からは理解されないかも?という事を肯定的に捉えてくださってなんだかとても安堵を覚え、感謝しかないです。

 

 

先日友人とも話していたのですが、未来にやってみたいこと、この計画が後々の自分を救うことになる。だから今私は自分の身体と向き合いつつやってみたい事をあれこれ考えてみる、それが少し先の未来をも形作っているのです。

 

そう考えると、今できることは“今“と未来のビジョンを満ち足りている時間にするために集中する事。だから悪いイメージを抱いている時間なんて1秒たりともないのです。

 

 

そんなわけで

 

 

今日畑に向かう途中、商店街のお米やさんの入り口にふと眼を向けたら。。

 

 

年末年始の餅つき要員募集(男子のみ)

 

の張り紙が!

 

 

やりてええええええええええええええええええええええええ

 

思わず店員さんに聞いちゃいましたよね😂募集してるの男子なのに😂念のために言っておきますが私は女子です。乳がんて書いてるけど一応お伝えしておきます😂

 

 

でも、女性が出来る作業もあるようなので連絡先だけ伝えて帰ってきました(しかし、人員が既にいっぱいなので空きがでたらとのこと)。餅つき、なかなかに力仕事だろうから術後だしどうなんだ?とも思ったけど、まあ、楽しく夢見るなら良いでしょ。ってことで!店員さんもソフトにびっくりしてたけどそれなりに嬉しそうだったし!(都合の良い解釈)何よりお給料も出るしっ💓履歴書もいらないしっ🍃ああ、なんてフリー

 

 

そんな些細な事が自分を支えてくれる可能性もあると思うし。うまくいったらここにレポートもしますよ😂

 

でもそうか、年末なのか。。これから歳神様がいらっしゃるのかと思うと身体も心も住居も整えなきゃなと思った次第です。

 

本日という日にこの様なお話を聞いてくださいまして本当にありがとうございます。寒くなってきましたので温かくしてお休みください🌟

Order made portraitと対話の可能性

【オーダーメイド・ポートレート / Ordermade Portrait】

 

 

とある海の近くに住むご家族を描く機会を頂きました。

 

写真を頂いたとき、印象深かったのが皆とてもほがらかなお顔をしていること。

柔らかく、オーガニックコットンの様なそんな感触を覚え

いつもは絵の具で色付けしているのですが今回は紙の風合いもそのままに、色鉛筆で色づけをしていきました。

 

 

【制作のあとがき】

 

今回のこの制作を終えて感じたことは、“対話“を忘れてはいけないな。という事でした。私はこの作品の制作過程をすごく楽しんでいましたが、どこか違うところに頭を持っていかれてしまっていたのかもしれません。小さな対話を少し疎かにしてしまったかもしれないと反省した点がありました。

 

最近、対話の可能性というものをよく考えます。

 

何か人とのやり取りで迷った時、まずは聞いてみよ、直にぶっ込みすぎるのではなく軽い感じで、気持ちよく対話ができるように、そんな事を心がけています。

 

それに何かを言い出せずもやもやしている時って結構自分の思い込みだけでそう感じている可能性もあったりするので、それを外にアウトプットする事であっけらかんと解決する事もあるように思います。

 

 

前回の投稿で最近の食生活の事を書きましたが、“自分は何者なのか(自分は今何を食しているのか)“を知ってもらうって本当に大事だなと思う今日この頃です。

 

つい気を使ってしまい無理をしたり、自分だけが気を使ってその場はなんとかしのげたとしても後々にそれが自分の中に小さな違和感を生み出し向こうにも重荷になったり気を使わせてしまう事になることもあると思うのです。

 

 

こうして悩んでしまう事の理由の一つに“多様性を理解する“というキーワードが含まれているのではないかと思います。

 

ここ近年SDGsの項目の中にも多様性を尊重するといった要素が盛り込まれていますが、本当に今それが必要とされているように感じます。

 

これがスタンダードで王道だ、という考え方の隅っこでそのレールにはどうしても乗れない人々もいます。というか、一人一人が異なるからだと心と魂を持っているのでそれは当たり前のことだと思うのです。

 

だから異なる文化や趣味嗜好、生き方の人々に会っても自分と違うから批判するのではなくただ認識する眼差し、ただ知る事がとても重要かと。

 

多様性であることが当たり前、であれば自分は何者であるのかを堂々とプレゼンすることができます。

 

もちろん、うまくいくことばかりではないけれど、私はそんな世界に住んでいたい。

 

ロンドンに住んでみて良いなと思ったことの一つに、多様性が当たり前にあるという事があります。みんな違って当たり前という意識があるのだろう、だから色んな食べ物や民族や宗教が存在している面白い街なのかなあと(今はどうなっているかわかりませんが。。)

 

 

話は脱線しましたが一つ何かを終える度に学びがあることがとても嬉しいです。ありがとうございました!

ラスボスがくれた大きな愛 

乳がんに罹患して改めて見直したものの一つ、

 

それはなんと言っても食生活

 

色々と本を読み、大体共通して論じているものもあれば細かいところで意見が違っていたり。最新の情報(確か10月末)にネットニュースでも新たな見解が発表されていて、日々医学の研究は進歩しているのだなあと改めて思ったと同時に少々混乱もきたすのでした。

 

でも、本当によく思うのは「どこどこの有名な先生が○○と言っていたから」「この様な結果が出ているから」「○○という本に書いていたから」というのも勿論大事でとても参考になるのですが、最終的には自分の身体で確かめてみるしかないのだなあという事をよく思います。

 

 

人体実験は続く

 

統計学的に見たら当てはまることもいっぱいあると思うけど、人の心と身体はロボットではない。神様は精密に私たちの臓器をプログラミングしてくれたけど、個々で違いが絶対ある。それを個性とも言えると思う。

だから、私は必死に私の身体の声を聞くしかないんですよね。。ふっと緩むとその事をうっかり忘れてしまっているから、こうしてここに綴る。でもそんな壮大なミッションを与えられて、やっぱり私はラッキーかもしれない。これからの人生の指針というか心構えを正せよというお告げを頂いた気分です。

とにかく今はお菓子、精製されたもの、揚げ物、添加物(極力)、乳製品、小麦などなどを極力さけ、野菜、海藻、果物、穀物(白ごはんに押し麦や豆や乾物を混ぜて量を減らしている)、魚、乾物。。とにかく“素“のものを摂取しています。

私の料理、入院食より味が薄いんじゃないかと思っていてこれから比べるのが楽しみです😂

 

 

毎日が庶民的コース料理

 

何を食べるか、はとても大事ですが、それよりも更に大事なのは“食べ方“ではないかと私は思っています。

食べる順番は果物→野菜→タンパク質源→炭水化物の順番に食べています。冷えとりもしているので果物と野菜は生にするかどうか、悩んでしまう時もあるのですが生も酵素は取れるし、冷えるかもしれない、でもありがたく頂こうという気持ちで食しています。お風呂やその他の事で補ったりとか。

コース料理とかってほんとこんな感じの順番で出てきますよね↑(人生の中でそんなに食した事ないけど😅)

 

 

覚醒の咀嚼・ラスボスとの遭遇

 

そして何より“噛む“

これが一番できてなかったなーと痛感しています。今、とにかくめっちゃ噛んでます。食べ終わった後、顎が痛い。。😅そして時間がめちゃくちゃかかるから最初はなかなかに時間配分が難しかったです。

でも、この噛むという行為が、改めてとても新鮮で。。うおおおおと眼が覚める思いでした。

それは何故かというと噛めば噛むほどその作物も持つ個性、本丸・ラスボスが咀嚼の最終段階で「よっ」と顔を出してくるからです。

白米を噛んで噛んで噛み切ると最後に甘ーいデンプン質のあの味が味わえる、あの感じです。

牛蒡の苦味を通って皮の部分にひっそりと佇んでいるちょっとした甘み、酢の物の酸っぱさの後に広がるお酢(純米酢使ってます)の甘味、かぼちゃとさつまいもをシンプルに蒸して舌の奥で感じる甘味(🎃と🍠はスイーツという事に気づいた今日この頃😂食後に食べたりしてます)。。などなど

こうして書くと最後は甘味にたどり着いている。。頑張った後のご褒美みたいなもんなのか??面白いのでこれからも研究してみたいなあと思います。


私はきっと今まで舌先でしか味わえていなかったのだと思います。ジャガイモみたいなちょっとした穀物のものも柔らかいからすぐに飲み込んでしまいがちだったけどよーく噛んで溶かしてから飲み込むとこれまた違った味わいと、何より胃に負担がかからない、胸焼けの様な感じが激減するのです。

 

 

咀嚼の達人への道のりは千里のごとく・グッドホルモンという名の給水ポイント

 


ただ、この噛むっていう作業、めっちゃ根気がいるなと痛感しています😂うっかりするとすぐ飲み込んじゃったりして「やべっ」となってたりします。噛んでる間にラジオだとか音楽だとかポッドキャストやらの音声ものが欲しくなるけど気が散っちゃってなかなか味がわからなくなるのでOFFにしたり、それでも欲しい時は音量を抑えて流したり。達人は噛むことに集中して音にきをとられないそうです。うーん興味深い。。

でもこうして噛む事を意識して食べると、本当に満足感がありますし、あの噛む過程の事を考えると「こんなに量はいらないな」と頭の片隅で考えている自分がいることに驚きました。

何よりよく噛むことでグッドなホルモンも出るらしいですから見逃せません。

 

 

噛んだ事によって息継が楽になった、ラスボスからの愛

 

そして最も驚いたことは、自分の考えが少しずつ変わり始めているのではないか?という事に気づいた事です。

おそらく良く噛む事によって多少なりとも五感がいきいきとしてきたのだと思うのです。

 

 

小さい私の変化は以下の通り

 

・物事をもっと深掘りしたいと思い始めた(内観ノートも始めました🗒)
・色んな物事を躊躇なくもっと味わいたいと思う様になった(辛いこと、悲しいことも含め)
・上記二つの思考回路が働いてか、色んな事に対して前よりもフリーな気持ちで捉えられるようになった(気がする(笑))
・そしてその事は私の中の自由の幅を広げて息がしやすくなった

 

なんかちょっと!これって面白い実験なんじゃないのー?と思っています。今まで筋トレはあれこれやってみたけど顎の筋トレは盲点でした。

 

 

ザザザと書いてしまいましたがここまでお読みくださいましてありがとうございます。東京は大雨の後、ようやく落ち着いた天気になりましたがどうか温かくして良い夜をお送りください。

Congratulations! Great message from England🇬🇧 

イギリスの友人に送ったウェディングギフト(写真の絵です)がようやく届いたと連絡がありました。

 

いつも私の事を陰ながらサポートしてくれた二人が結婚式あげるとSNSで知って親戚か?という勢いでコメントを残した。

この二人、くっつかないかな。you, くっついちゃいなよ!と思ってたのでひとしおです🤣

 

 

2人とも同じクラスになった時期もあり、少しずつ話す機会が増えていきました。最終的に卒業制作で発表するものの英語をチェックしてもらったり。。(向こうも忙しいと言うのに、快く引き受けてくれるという😭)

 

女の子の方はいつでもとても優しくて、私と話す時はいつもよりスピードダウンして話していてくれたのではないのかな、と思います。その心遣いは全然上からと言うものは感じさせずとても自然なものでした。何より3.11の時、私はイギリスにいまして、学校で日本人の学生と一緒にお菓子や色んなものを売ったりすつチャリティーマーケットの様な事を行いました。その時にも手作りのものをマーケットに寄せてくれたりしてくれたのです。

 

男の子の方はいつも表情があまり読めないなあと言うのが印象としてあるのですが、SNSで見たウエディングの写真は本当に心からの笑顔なんだなあというのが伝わってきて何だかとても嬉しくなりました。授業でお互いの論文を交換し合う、というカリキュラムがあってそのグループの中に彼のものがあったのですが、英語があまりできない私でもとても理解ができるシンプルな文体で一気に読むことができました。きっととてもシンプルな考えを持っているのだろうなあと思ったことがあります。(でも論理的なんですよね。その思考回路は私はあまり持ち合わせていないので羨ましい)

 

結婚おめでとう。末永くお幸せに🕊

 

 

Dear my friends,

Congratulations!

I’m very happy to hear that two of you had a wedding celemony, and thank you very much for sharing your great monent.

いつでも自分の味方でいてあげるについて私が考えるあれこれ 

こんにちは、乳がんに罹患して体調管理の事はもちろん、日常の中で受けるストレスの事を前よりより考えるようになりました。

今日は昨日の投稿にも書いたいつでも自分の味方でいてあげることについて私なりに思ったことを書こうと思います。

 

 

味方ってなんだろう?

まず、味方ってなんでしょう。いつでも陰からそっと見守る?辛い時にはハグしてくれる?優しい言葉をかけるかと思いきや叱咤激励してより良き方向に導いてくれるような?

何だか色々な表現方法はありますが、やはり根底にあるのは自分を肯定してあげる事、認識してあげること、そして許してあげる事なのではないかと思っています。

 

 

マイ体験談

昔、セラピストの仕事をしていた時私は全く自分の味方ではありませんでした。むしろいつも攻撃ばかりして自分を責めていじめていたように思います。

例えば施術がうまくいかなかった。そんな時、相手が満足そうな顔をしていないのをみて自分を責めに責めてしまっていたんです。

せっかく高いお金を払ってここまできてくれたのに全然良い時間を与えることもできなければ身体の疲れをとってあげることすらできなかった。なんて自分は駄目なんだ、と。

はーー。。書いているだけで落ち込んできそうなこのワードよ。。!

でもそうなんです、前向きになろうと試みようとしたけど負の方が勝っていたんですよね。そんな私、その当時は本当に元の気(=元気)がなかったのだと思います。

 

 

なんでそんなに自分をいじめるんだ!

なんでそこまで責めたのか?それは

「お客様に喜んでもらいたい」

というところを目標設定にしてしまったからなのだろうと思っています。

つまり要は自分の価値を他人に委ねてしまっているわけです。他者が認めてくれたから自分という存在は成立しているんだ、すごいんだと。

でももし他者がいなかったら、誰も自分の事を認めてあげる人がいなかったら、最後に残っているのは自分です。自分で自分を認めてあげる、それが味方でいてあげるという事なのではないかと思います。

他人の価値観とは移ろい易いものであり自分ではコントロールできない範疇にあります。だからそれを期待することは少し時間を無駄にしていることになるのかもしれません。

 

 

じゃあさ、どうすりゃよいのよ?

だったらどうすれば良かったのか、と考えると。。完璧な目標設定を定める、ではなく自分が一歩でも良いから成長できることをその都度感じる様に進んでいけば良かったのかなと思います。つまり自分自身を喜ばせる為にやる。そしてその瞬間瞬間のプロセスを楽しむという事です。

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私、瞬間瞬間のプロセスを楽しむってほんとーにほんとーに大切なんじゃないかと思うことがこの前ありまして。そのことはここでは書きませんが、なぜかと言うとプロセス全体を楽しんで自分なりに一生懸命進むって結果がどうであれ後々の自分を支えてくれると思うんです。

例え結果がよくなかったとして相手から文句を言われたとしても、「いや、私はそれに全力投球した。でもあなたが求めるところまで球を届けることができなかった。けれど近い未来には球を届けたい」と。

もしそのプロセスを全集中できてなくて結果がダメだったらうーーん。。言い訳できないですよね。仮に言い訳できたとしてもそれこそ自分を責めてしまいそう。。

 

 

全てにall rightを出そう

けどそのプロセスをも楽しむことすら出来なかったらどうすれば良いか?もうそれはそんな自分をも許す!今の自分にはそれはできない。それで良いのです。

だいいちなんで自分を許すことが出来ないんだろうか?それは理由はさまざまあるかと思いますが、外側のルールに基準を合わせている時、誰かと自分を比較している時に多いのではないでしょうか。少なくとも私はそうでした。

もし世間的に正しい、という基準があってそれに添わない(添えない)事をすると、あーあ。。ってなります。でも自分宇宙人だからまだこれできない、でもコンナコトデキルヨ。。ゴゴゴ👽位の勢いで許してしまっても良いと思います(宇宙人を引き合いに出す辺り、そろそろ書き疲れてきている(笑))

でも世間は変わる、常識も変わる、その中で私たちは生きていて授かった体も心も、人生に対する目的も違う。こうしなければならないという規則はどこにもなくて、自分がよしとする方向に向かえばそれを支えてくれる人達がぽつぽつと現れてくるのではないかと思います。

だらだら書いてしまいましたが私が思った味方でいてあげるの要素は今のところこんな感じ!

 

 

他人の評価を目標にしない

自分自身を喜ばせる為にやる

瞬間のプロセスをきちんと味わう

常識に自分を当てはめない、常に自分という個は唯一無二なのだと思う

どんな状況でも自分は常に成長の過程の中にいるのだからそれすらも認める

 

 

説明しきれていない部分もありますが、また何か思うことがありましたら綴っていうと思います。今日も両手を拡げてヒャッハーー!ってしていきましょう!

 

 

後日余談:今までワードプレスを使ってきて私は改行の際にそこにどうやって空白を入れるかがわからなかったためずっと避けてきましたが、今回のブログはコンテンツをしっかり分けて表示しないとわかりにくいだろう。。と思い、調べてやってみましたよ。でーきーたー、嬉しい😆

わたしのステートメント 

11月とは思えない暖かい日が続いていますね。秋晴れがもう少しだけ楽しめそうでちょっと嬉しいです。

さて、この一ヶ月間私ごとで身体も心もとても忙しく、目まぐるしく動いておりました。

なぜかというと、大きな病気に罹患してしまいました。

乳がんです。

昨年度の夏から検査に引っかかっていたのですが、経過観察という事で様子を見守っていました。でもこの夏そのしこりが大きくなってきたため大きな病院で検査を受けたところ悪性の腫瘍という結果でした。

今月末には手術を受けてその後は手術の経過次第で治療方針が決定づけられます。

その事を告げられた時はやはりショックは大きかったです。普段泣いたりすることがあまりないのですが、その時ばっかりは泣きました。

前向きに捉えられてはいるものの、病院に通院するたびにやっぱり気分は落ちるし現実を見せつけられると大いに落ち込む日もあります。

でも、なんでしょう。何だかわたしは同時に色んな可能性も感じ、自分の見ている人生が今までとは全く違う色を持って私の目の前に現れている事も肌みで感じました。そしてその色味は少し怖いような、でも包まれてみると今までとは全く次元に飛び込んでいくことができてワクワクできる場所でもあるような感じがするのです。

1ヶ月前の自分を見るといかにお気楽に過ごしていたか、自分の人生にきちんと向き合えていなかったかを思い知らされました。

また、それと同時にいかに他人軸で生きていたか。

自分の人生を誰かがどうしてくれるんじゃないかと心のどこかではひっそりと思っていたのかもしれません。表面上は自分軸で生きる事に必死の様に見せて影ではこっそり手を抜いているのです。

でももうそんなことは言っていられない。この瞬間から自分の人生にズーム、イン!超特急で進んでいくタイミングが巡ってきたわけです。

そこからがんに関する色んな本を読み、食生活をもう一度見直した上食事制限を設けています。

最初は乳がんに関する治療や入院に関しての本、がんと闘う食生活の本などを読んでいました。ただ、時が経つにつれ、心も少しずつですが平穏を取り戻していくと、私はもっとストレスだとか、内面的な部分を取り扱う本も手に取るようになってきました。

実践的な本も精神的な本にも書かれているワードは“ストレス“

やっぱこれだよね〜と思うけど、ある程度のストレスは生活には必ずついてくるもの、でも過度のストレスは時に命の危険をももたらします。

私はそういう精神的・内面的・自己啓発的な本が好きでちょこちょこ読んではいました。そしてよく出会うフレーズ

“自分が自分の一番の味方でいてあげる“

この言葉にもよく出会っていました。

正直なところ、この言葉の意味はわかっていました、頭では。それはもちろんです。自分の身体と心の1番近くにいるのはこの自分自身です。

でも本当の本当のところで私はそれを実感を伴って理解していなかった。何か起こるたびに他者も責めては自分も責めるなんてこともよくありました。

でも罹患したことをきっかけに強く思いました。

“がんばらない“

“いつでも自分の味方でいてあげる“

“自分を責めない“

いつどんな時であっても私は私の味方をしてあげるんです。私には私にしかない個性と身体を持っていて、当然知らないこととかできないことも山ほどある。それでもとにかく肯定してあげる、許してあげる。まずはそこからだなと思いました。

言葉にすると簡単ですが、なかなか難しいのが現実。でも本当に、罹患して大きな気づきが毎日の様にどっさりとあって、人の温かみが本当にありがたいと感じる様になりました。

このブログも今まで通り継続していこうと考えています。その中でこの毎日訪れる気づきをなるべく言葉として残していけるよう、忘れないように綴る日もあるかもしれません。

ここまでお読み頂きましてありがとうございました。

今日も良い午後をお過ごしください!