2021年12月の布団を裏返したら

天気があまりにも良いので布団を裏返していたら通りのすがりの人と眼があって反射的に会釈された。

そういうの、良いよね。そんな師走の日。

師走がもう少しで終わってしまうのがなんだか寂しい❄

クリスマスの美術館・グランマモーゼス展(2022年やりたいこと) 

クリスマス当日、世田谷美術館で開催されているグランマ・モーゼス展に行ってきました。

 

昔美術館でアルバイトをしてたことがあるのですが、クリスマスの朝に美術鑑賞する方々を観てなんだか素敵だなあと感じたことがあるのです。

 

自分もあのクリスマスの神聖な空気の中、美術館という空間で時間を過ごしてみたい、と。

 

思い立ち前日に予約を。

 

とまあ、想像を超えてとても良い展示でした。。101歳まで生きた彼女が記憶を頼りに昔の生活をキャンバスに描き起こしていることを考えるだけでも何だか胸が熱くなりますが、彼女が描いた古き良きアメリカの姿には現代では失われてしまった慣習や知恵がぎっしりと潜んでいるのです。

 

昔は何から何まで手作りしていた。例えば石鹸やサトウカエデからメープルシロップや砂糖を作り出していたり。。とにかく自給自足、そして働くということが生活=生きることに直結しているのです。

 

彼女が残した言葉でとても印象深いものがありました。

 

仕事とは仲間意識を育む喜ばしい機会

 

ああ、そうだよなあ。。となんだか胸に沁み入るような感触を得ました。

 

 

最近友人と仕事について話していたのですが、私は仕事というものに対して結構なほどネガティブなイメージが付きまとっていたんですよね。

 

仕事=しっかりやらなきゃ、お金のため、大変、やらなければならない。。etc

 

もちろんグランマが話すように一緒に働いている人々と協働する喜び、というのもあるという事は知っている(つもり)、けどどうしてもネガティブイメージが先行してしまうのが拭い去れないのでした(この訳は掘り出すとキリがないのですが、また別のお話。。)

 

でも、これによって払拭されたような気がします。私は何を恐れていたんだい?という気持ちになったのと、私は生活=仕事という事がしたいのだなあと再確認しました。つまり空気を吸うように仕事をする、変に気負う事はない、好きなことに夢中になっていたら経済も生活も回っていた。

 

まずは気づいたからここから徐々に意識を根付かせ定着させて、少しずつ助走を始めるだけだ。

 

グランマへ、素敵なクリスマスプレゼントをどうもありがとう。
Dear Ms. Anna Mary Robertson Moses, Thank you for giving a fantastic Christmas gift to me. It would be a forgettable event that your picture and wisdom inspired me. Merry Christmas!!!xxx

 

 

その後はきっと自分にとってとても大きな影響を与えた街へ移り、落ち着く喫茶店で吉本ばななさんの新刊を読みました。

 

うん、今年のクリスマスは自分を労い尽くしたぞ。。

 

こんなことは人生で初めての経験かもしれない。クリスマスといえばサービス業についていたのでいつも仕事だった。だからこういう時間の使い方をしたのは初めてだったかもしれません。

 

それにしても、その時間を提供してくださった方々がいることを忘れないようにしたいです。本当にありがとうございます。

 

 

2022やりたいことリスト、グランマ・モーゼス展を観にいくもその一つでした。というか2021にやってんじゃん!って感じなんですけどね😂でも良かった、観に行きたいと感じた直感は間違っていなかったんだなー

 

うん、本当労い尽くしたからか明日への気力と活力が湧いてくるのを感じました。というか自分の感覚を信じられるようになってきた、とでもいうのだろうか。

 

図書館であれこれ調べようと思って本を観てみるも何故だか自分に入ってこない。いや、まずは自分で考えよう、全て忘れているだけだから、本当は自分は全部知っているから、という感じ。

 

完全復活までもう少し時間はかかるような気がしますが、何かを掴めたようなそんなクリスマスでした。

焼き芋ボールと足湯と2022リスト 

焼き芋をマッシュしたものに酒粕を練り込んでボール状にして上からきな粉をまぶしてみました。

 

焼き芋の生地が緩いので何か粉なものを練り込んでも良い感じでした🤔焼いたりしないのでそのまま食べれる粉物がベストなのだが。。

 

思いつきで作ったけど味は美味しかったです。焼き芋がほくほくのうちに酒粕に混ぜ込んで温度をキープすれば発酵してもう少し甘くなるのかしらん?

 

レーズンなどのドライフルーツを混ぜ込んでも良い感じ。

 

 

最近、毎日投稿をしています(珍しい)。それというのもこうして自分が何を考えているかということを言葉に置き換えていかないとずるずると自分が何を思っているのかを忘れてしまいそうになる感覚があるからです。

 

そんな時の私の頭の中はとても思考優位になっています。

 

そうなると呼吸が速くなり、ご飯も早食いになり、キョロキョロ落ち着きがなくなってきます。つまりゆったりと構えていることができなくなるのです。

 

大体そんなときは過去の経験をもとに少し先の予期せぬ事を考えていたり、今に集中できていない時です。

 

そんな時、とある方のポッドキャストを聞いていたら「私たちはいとも簡単に思考に乗っ取られる」とおっしゃっていて私のことじゃん、と思わず噴いてしまいました😂

 

難しいけど訓練だな。というか2022リストの中に加えよう。。

 

 

この2022やりたいことリスト、自分にとっては「はっ」とさせてくれる存在になっています。なんというかその時になぜ自分はこれをやりたいと思ったのか?という事を思い出せるだけでなく、やりたいと思った時の希望を持っていた自分をも思い出せるからです。そうすると何だか嬉しくなります。

 

今のところ出来ているのは簡単なことだけなんですけど。。もう一つ達成したことがあります。それは。。

 

 

足湯ボックスを買う

 

結論から言うと、足湯ボックスではなくて少し大きめのバケツにしました😂🪣だって100均で丁度良いのがあったから、これがいいなーと思って。

 

洗面器で足湯していた時よりもだいぶやりやすい、です!

 

朝早く起きて足湯しながら白湯飲んでメールチェックやら調べ物やらあれこれする時間を持てるのが理想なのですが、いかんせん寒くて起きられない。。😭早くに眼が覚めるのに身体が布団から離れようとしないという。

 

タイマーセットしようかと思った日でした。ただでさえ日照時間が短いから朝日を浴びたいと言うのに🌞

 

足湯をしていると不思議と手先も温まってくるので不思議です。そしてはーーと安心のため息が出るのでやはり温めるのは大事なのだなあとよく思います。

 

 

安心しながら冒険する、2022はそんな年になれば良いなとふと思いました。

 

 

今、近くで大勢の60〜70代位のおじさまおばさまが今年の事を振り返ってあれこれと話しています。近所の寄合なのか、そういう姿を観れるのはなんとも豊かな事だなあと思います。

 

きっと誰にとっても大変だった一年には間違いがないと思います。でもきっと忘れられない一年。良き2022がやってくるよう静かにお祈りしたいと思います。

 

良い午後を!

人生で初めて自分であたりめを買った日 

最近味覚が変わったように思います。

 

 

あ、全然悪い方向にではないですよ。某ウイルスの影響の味覚障害とかそういう事ではありません。今まであまり眼を向けなかった食べ物に食指が動く様になりました。

 

それもこれも食生活を変えたから起こったことなのかな?と思っています。

 

食事“制限“という言い方はとても窮屈なものだと感じる事があるので、“自分が必要としている食べ物を食べている“という言い方にしようかと思います。しかし長いな(笑)

 

味覚が変わったかも?と思ったきっかけは最近珍味系のものが食べたくなったことです。

 

私は酒呑でもないのであたりめとかそういったものを自分で購入したことがなかったのですが、この前無性に食べたくなってもぐもぐ噛んでいました。にしてもそういった乾き物は色んなものが添加されていて少々辟易してしまうのですが💧自分で色々手作りできる様になったら楽しいなあなんて考えています。

 

ナッツとかドライフルーツとか料理に使う乾物は積極的に食べるのですが、あたりめねえ。。と驚いていました。

砂肝とか、たこわさとか、イカとか、そんなのに眼がいく今日この頃😂

 

 

これ、がん関連の本でよく見かけるワードなんですが↓

 

“がんになると味覚が変わる“

 

今考えると私もそんな時期があったように思います。変わったというか、中毒性が増した感じがありました。

パン食が多くなったり、いつもの夏ならそんなにアイスを食べたいという気持ちになる事があまりない方なのですが、今年の夏は結構食べたような。。

 

それもがん細胞が増殖のために欲していたのかと思います(ぶるぶるぶるぶる)

 

 

今回の件はどうなんだろう?食べない様にしているものが増えたからただ単に今まで眼が向かなかったものに眼が向いているだけなのかもしれない。でもなんにせよ、自分の世界を押し広げてくれたには変わりないので面白い変化だと思っています。

 

私はここ何ヶ月、何を食べるか、ダメか、そんなことばかり考えていました。正直なところ、たまにそれが疲れてしまうことがあります。やはり、今迄好んで食べていたもの(小麦粉とか、お菓子とか、色々)と距離を取っている訳ですから。

 

 

でもそんな時には言葉の転換を忘れない様にしています。

 

「他に食べれるものがある、それがありがたい」


 

疲れている時にネガティブな思考がひょこっと顔を出してくるのですが、一旦冷静になれよ、生き延びるためにお前は何を選択するのだ?と禅問答を店先でしております。

 

と言ってもそう言った問いもストレスになりかねないケースもあるので、それが当たり前になっていく様自分に馴染ませていくだけなのだなと思います。目覚まし時計生活が良い例です。前の投稿にも書きましたが、夜変な時間にスマホを見なくなったし寝室には持ち込まなくなりました。

 

なんにせよ、自分の視野を拡げていける時期なのだなあと思っています。

 

 

昨日図書館で面白い本を発見しました。これ今まさに私が考えていた事だー。。

 

🤯🤯🤯

人は食べたもので出来ているという言葉を良く聞きますが

 

今日鶏もも肉を食べていた時に鶏の気持ちになってみた、というか、人生を終えたあとは誰かの細胞の一部になるのだと考えたら食べている私の責任は重く頂いた命の分まで全うせねばという新境地に立った。

   

今日はなんだか頭が吹っ飛んでいる。

 

うまくチューニング出来ない師走の土曜日。。ボンバヘー🤯

台所フルーツの時間最近興味があること 

最近朝起きて身の周りを整えたり掃除した後に台所でフルーツを食べながらメールチェックをしたりあれこれと調べ物をしたりしています。

つかの間の時間ですがこの時間が取れるととても充実した気分になるのです。

 

目覚まし時計を生活に取り入れてからスマホの電源を切って寝るのは勿論のこと、寝るときは寝室に持ち込まない様にしています。ある方が寝室持ち込んでないという話を聞いて、確かにその方が良いかもなー。。と!影響されやすい性格丸わかりですが😂試しています。

 

 

さて、今日の本題はフルーツの話なのですが、あれこれ体質改善に努める今日この頃、やはり一番気になるのは身体の冷えです。

 

低体温はがん細胞が一番好むもの。この問題を少しでも解決したいから身体を温める食べ物や旬の食材を選択する様に心がけているのですが、好きなもの、そう、それはフルーツの様に身体を冷やしてしまうと言われているものもあったりします。

 

といってもこれもまたさまざまな考え方が世に溢れていて何を信じて良いのか正直よくわかりません😇

 

寒い地方のフルーツは身体を温めてくれるという説もあれば(でもこれは理にかなっていると思います)、フルーツ全般は。。という説もあり。

冷性の性格を持つフルーツには黒胡椒や醤油などの発酵食品をかけて食すことによってその冷性が緩和するという考えもあるようで試しにやってみています(醤油が意外に色々といけるという事に気づきました。みたらし団子の美味しさの感覚です)

 

とまああれこれと知識をかいつまみながら実験しているわけですが、私が最近面白いなーと思っているのがフルーツを温めて食べる事です。

 

 

【バナナを加熱した場合】

 

フラクトオリゴ糖が増え、善玉菌の餌になり、消化吸収もアップする。胃潰瘍の方にも優しいとか。また、加熱する前のバナナでも熟れ具合によって効能が変わってくるらしいです。

 

青いバナナ:整腸作用、便秘にも👍
黄色いバナナ:青いバナナよりビタミンB群が増える、お肌トラブルにも👍
黒いポツポツ(スイートスポット)のあるバナナ:リン脂質が細胞膜を作る働きをしてくれる。胃の調子がよくない時にも👍

と、バナナマスターを気取る訳ではありません。全てネットから拾った情報で恐縮なのです😅

バナナの栄養価は加熱すると減っちゃう?UPするものもあるの?最近はコンビニなどでも手に入って、手軽に食べられるバナナ。甘くてやわらかくて、小さい子どもからお年寄りまで食べやすいフルーxn--59jtb317n5pap61gg67d.com

 

 

ちなみに

 

りんごの場合は100℃以上で加熱すると水溶性食物繊維が6〜9倍に、りんごポリフェノール(抗酸化作用)が8〜9倍とな?ちなみにこのりんごポリフェノールは体内での持続力が長い訳ではないので一日に数回に分けて食べた方が効率がよろしい様です。

りんごの成分 | 青森りんご公式サイト(一社)青森県りんご対策協議会りんごの成分と栄養と効能を紹介。りんごにはカリウムや食物繊維(ペクチン、セルロース)、りんごポリフェノール(プロシアニジンwww.aomori-ringo.or.jp

 

 

冷え性改善から少々脱線してきている感じですが、こういった食べ物の性質があるんだなーという事がわかって何だか面白いです。それというのも温活セットをプレゼントして頂いた友人から生姜を加熱する事によってこれまた身体を温める成分が爆増するという話を聞いて改めて色々と調べてみようと思ったのです(その節は、また、調べるきっかけを本当にありがとうございます!🙇‍♀️)

 

調べて試して、あとは自分の身体がどのように変わっていくかの経過観察を忘れないように心がけようと思います。これが一番難しいかも?!

日々忙殺されたり違う事で頭がいっぱいになっちゃうと、ついつい自分の身体の事をうっかり忘れてしまう様なので、うん、気をつけよう。

 

ちなみにトップの写真は頂いた岩手のりんごをすりおろしたものを加熱してお酢を加えたものです。レーズンちょこっとのせると映えるわ。。レーズン様🍇

現代のレール/民藝の100年を観て 

昨日国立近代美術館に「民藝の100年」を観に行ってきました。

 

 

今まで美術という畑に足をつっこみつつ、民藝に関してよく調べた事もない。地方に住む人々が作った道具を日常に潜む美として、生活の中の工芸として紹介した。。という断片的というか誰かが仰っていた言葉を頭の片隅に何とか記憶していたという感じです😂

 

でも何故か気になっていたこの分野。まずはせっかく展示をやっているので気分転換も兼ねて観に行こう!と足を運んで参りました。

 

しかし、甘く考えていました。

 

2時間もあれば観れるっしょ〜と考えていたのですが、三分の一の作品をさらーっとしか観れなかった😭何故って閉館時間になってしまったのと、私にしては珍しくノートとペンを握りしめてあれこれメモをとりながら回っていたら。。あ、れ?!みたいな!

 

でも本当に面白かったです。

 

鑑賞し終わった今も、わからない事だらけ、歴史も作品名も人々の名前も覚えられないのですが、あの心ときめく民芸品と彼らのオタク気質とも呼べる民芸品に対する追求心と好奇心が私の心にポッと明るい灯りを灯しました🕯

 

 

そして今なぜこの展覧会が開かれたのだろう。。

 

やはり、似ている状況が今この現代社会で巻き起こっているのかな?

 

民藝=民衆的工芸は近代化と表裏一体の存在だったと解説を見ました。進んでいく近代化、立ち込める戦争への影、大事な物や価値を見落とさないための原点回帰とも言える活動の様にも私は感じました。

 

そして今のこの世はというと。。某ウイルスによって私たちの生活は一旦リセットされ外出を余儀なく禁止され嫌でも自分と向き合う時間をとる事になった。大量生産・大量消費・便利な暮らしへの欲が産んでしまった膿を一掃するかのようにSDGsの活動も盛んになってきています。

 

3.11の辺りからも地方移住の言葉を本当に良く聞く様になりましたし、一点に集中するのではなく分散しよう、均等になろう、平等になろうとも言える動きもずっと続いていますよね(ワーケーションがそれに拍車をかけた気もします)

 

そして何よりも心を突き動かされたのが、彼らのその良いものたちを何とかして伝えようとしていたところかもしれません。彼らは民藝運動の三本柱として“美術館““出版““流通“を掲げていました。特に出版された本たちを見ているとノートや切れ端にメモをして、コラージュしたり、設計したり。。あの手作業にひとりガラスケースの前で悶絶しておりました。

 

そういうのを見るのが大好きなんですよね😅

 

 

もう一つの萌ポイントは身体を盛んに移動しながら良いものを発見し、人との繋がりを作っていっているという点。当時ちょうど鉄道が盛んになってきて旅行ブームが沸き起こっていたそうなのでこれも時代の産物というか、全てが“その“タイミングだったのだなあと思いました。

 

 

こうして書き出してみて気づいたけれど、今の時世からは逆行してるものばっか。。

 

手作業は残っているけれどパソコンの上で何かと出来てしまうし、外出もうっかり頻繁にできる訳でもない。

 

 

もしこの民藝運動の様なものが今の時代に起こっているとしたらそれのキーとなるのはやはりインターネットやSNSの力。。なのかな?でも誰か特定の人たち(柳さんたちの様な)だけが何かを見つけて発信するという時代ではなく、今は地方の農家さんや職人さんたちも自ら発信して自分達の良さを伝えているので形は少しずつ変わっていっているのではないかと思う。昔も発信していた人たちも勿論いたと思うけれど、遠くの人たちまで届けるのはある程度の時間を要したのではないだろうか🤔

 

そう考えると自分の“強み“や“売り“を自ら考え世に打ち出していく事ができるってなんか良いな、と思う。

 

誰かに認めてもらえるからすごいのではなくて、自分自身で自分の事をすごいと認める。

 

そういう時代のレールに乗っていると思うとなかなか捨てたもんじゃないなあと思いました。

 

私のこのよくわからない考察と萌話に付き合ってくださったそこのお優しいあなた、本当にどうもありがとうございます🥰

2022年にやりたいこと100個⏰新しい時を刻む 

ちょうど先週退院しました。

 

予想していたよりも身体から管が早く抜けてスピード退院となりびっくりしましたよ。

 

正直なところ、早期に退院できて良かったという気持ちと同時にまた元の生活を再構築して行くという力が伴っていなくて複雑な気持ちで退院しました。

 

それでもやはり自分の家とは落ち着くもの。少しずつですが生活を立て直して行ったり、友人と連絡を取ったり、お茶をしたり、心に光と風を入れるように努めています。

 

少々もぬけのからだったので、どうしたもんかなー。。と思っていたところにとある方が2022年にやりたいことを100個書き出してみるのもいーじゃん?と仰っていたのを聞いて気まぐれにやってみました(と言ってもまだ30個位しか書き出せていない!)

 

その中の一つに

 

 

夜はスマホの電源を切って寝る(目覚まし時計⏰に切り替える)

 

というものがありました。

 

そう、私は長年スマホを目覚ましがわりにしていたのです。遥か大昔は目覚ましを持っていたのでそちらを使用していましたが、手放したことをきっかけにスマホに。

 

体内時計が出来上がって入れば良いのですが、なかなか作り上げることができず、そしてもし寝ている間何かあったのなら。。というちょっとした予防と不安に掻き立てられここまできました、がっ!やめました。

 

何故かというと明らかにスマホを手に時間が長くなってきている。。

 

朝目覚ましのアラームを止めた時に通知が来ていたらついチェックしてしまう→朝の貴重な時間を見なくても良いページを見て時間を浪費する

 

夜は電源が入っていることでダラダラと何かを見てしまう。

 

 

もうこの習慣やめっぺーーってことでやめてみました。

 

経過としては良い感じがします。電磁波のことも気になっていたしちょうど良いタイミングだったのかもしれません。

 

この目覚まし案件はやりたいことリストの中から1番とっつきやすかったので退院した2日後かな?某○○良品で購入しました。

 

退院して新しい生活が始まる→新しい時を刻み始める、じゃないけどタイムリーだなあなんてしみじみしています(退院してからというものひとりでぼんやりしみじみしている事が多い。側から見るとちょっとひたっている人😂)

 

 

でもこのやりたいことを思いついたのも、入院生活があったからなんですよね。病院での生活は6時になると自動的に照明がON、22時には消灯です。自分で目覚ましかけなくても照明で起きれたのでスマホもOFFにして寝ていました。

 

そう考えると入院に意味はあったわ。。(そこ?って感じですけど)

 

あと、スマホを胸ポケットに頻繁に入れることで乳がんに罹患する確率が上がる、という話を聞いたことがあったので電磁波の事が少し気になっていたのです。まあそうじゃなくても眼も疲れるし、うまく熟睡できないことが多いので見る時間を減らす事は自分にとってプラスの作用が働くのだろうと予想しています。

 

大きくて今は届かない様な夢もあったりするけれど、今自分ができることから着手していく。その日々の営みが何だかとても嬉しいです。

 

手術・入院・退院という過程を経て今、外の世界にあるあれこれ、些細なこと、人が手塩をかけて制作したもの、色んな事が眩しく見えます。

 

これは私の世界の捉え方が変化したのか、それとも何かを忘れていただけなのか、わからないけれどそんなことをありがたく思います。

 

昨日友人からも退院祝いに温活セットをいただいて何だか感極まってしまいました。私の来年の目標の一つに基礎体温を1°上げるという目標もありますので日々こつこつと取り組もうと思った次第です。

 

と言ってもここで闘病生活が終わったわけではなく、私はこのことを一生涯かけて取り組んでいく課題だと思っています。少し大袈裟に響くかもしれませんが、私はこれからまたいつ再発してもおかしくない状態ですし今後の治療の事もよく考えていかないといけません。もし仮に5年ルールを乗り越えたとしてもその後の自分次第で元に戻ってしまうのはとても簡単な事だと思います。

 

私はもう昔の私に戻りたいとは思っていないしどんどん進化していきたい。だからこそ根本から変化を促す必要があるしそれは日々が形作って行くものだと身に沁みて感じております。そう、どの様に治療するか?=どの様に生きていくか?を促されているタイミングだと思うのです。

 

もし私が記録しているこの日記の様なものが誰かの役に立つことができるのならそれはそれでとても嬉しいし、私は私の為にこれからも色々と記録をしていくと思います。

 

そしていつも読んでくださっている皆様に心からお礼を申し上げます。

 

ありがとうございます!

日々の細部はクリエイションに満ちている

昨日無事に手術を終えることができ、少しずつ身体が動かせるようになってきました。

 

しかし、全身麻酔と手術が初めてだったため色々と不安な事もあり、しかも遅めの時間に手術だったので酸素吸入を終えたのが夜の10時。当然その日はご飯食べれず😭アーモンド2粒が辛うじてあったので全てを終えた後にかじっていました。アーモンドは傷の修復を早くするという話を聞いたことがあるので買っておいたのです。

 
 

こんなに大きく身体の一部がなくなるといった経験をしたことがなかったので、いまだに色んな事を消化できず。でも、手術の晩に確かに感じたことが色々とあったので書き留めておかないと、というか言葉にしないといられない感覚に襲われたのでこうしてキーボードを叩いている始末です。

 

今回の自分で決めた事(全摘除にしました)には後悔はないのだけれど、喪失感が本当にとても大きかった。

 

麻酔が覚めて名前を呼ばれた瞬間から涙が止まらず夜通し泣いていた😅

きっとほっとしたのもあると思うのだけれど、本当に左胸が無くなってしまったんだなあ。。と猛烈に悲しくなったのです。今まで連れ添った自分の身体ですものね。

 
 

失くす、ということについてあれこれ考えた夜でした。

 

失くす、という感覚はその失くなったものがつい今までそこに確かにあった、という事だ。それは形を持っていたり、時には感情みたいに形がないもので現れる事もある。

 

その喪失感に襲われないようにするためには“忘れる“という方法があるのだと思う。

 

その忘れるスイッチをうまく持っている人はできるだろうけど大多数の人が自然に日常から少しずつ忘れていくか、無理やりに環境・人間環境を変えて自分を忙しくすることで忘れるか、色んな方法があると思う。

 

ミシェル・ゴンドリーの映画「エターナル・サンシャイン」が忘れるという題材について述べていたなあ。。大好きだった恋人を早く忘れたくてそのための治療を受けるという内容だったと思う。

もひとつ映画繋がりでいくと最近上映している「ドライブ・マイ・カー」では小さい子供を亡くしてしまった女性が物語を紡いでいく=クリエイションの作用が働くというケースも。

 
 

というか日々を淡々と暮らしていくこともクリエイションなんですよね。。と私は思う。

 

その観点で考えると失くしてしまった後には何かが手に入っている。陰陽があるように何かを手放せばそこにスペースができて新たな何かが入ってくるのだ。

 

そこには自分の眼に見えない領域で小さく小さくクリエイションが行われているのではないかと思う。

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手術の間もしかして臨死体験の様な事ができるかな。。と思っていたんですけど出来なかった😂

 

でも何か夢を見ていたと思います。眼が覚める直前に残っている残像は幼い頃の自分の姿(4〜5歳かな?)だったからその辺りの夢を見ていたのではないかと思う。

 

そして麻酔のあの解けていく感じは小さい頃に発熱した時の身体の節々が痛むあの感覚にほのかに似ているのもありました。なんだか不思議に懐かしいような。

 

幼い私は未来の私を見てどう思うだろう?

 

今回の事は今までの自分を総決算するような大きな洗い出しだったと思うのだけれど、今までの自分が抱えていた何かが積もり積もってこの様な結果を引き出してしまったと考える事もできた。

 

でもこうして身体にサインを受け取る事ができた事、きちんとお世話をしてくれる病院側の体制が整っている事、心配してくれる家族や友人がいる事が本当に有難い事だと思うのです。

 
 

多分一生涯忘れられない夜、けど、タイトル通り日々はクリエイションなのでまた色んなことで上書きされていくのだろうと思います。そう考えると楽ね。

これを書いているのは手術から2日程経ています。身体の細胞が日々せっせと修復作業に取り組んでいる状況に比例するように喪失感というものは薄れてきています。

今更だけど、人間の身体って本当に凄いよ。。そう考えると何かを失ったとしても私たちは絶対的に完全なのです。