
5月は色んな感情と共に目まぐるしく変化を遂げているような季節に感じます。それは野菜の生長にも似ていて暖かくなって多くの生命が目覚めだして太陽は高く風も心地よい、でも自分の身体がぐんぐん上に伸びていくというのは想像以上の変化体験なのではないでしょうか。野菜の気持ち、を勝手に想像。
そして生長と同時に周りにいる虫たちに身体を食べられたり、それでも共生する力、自己のアイデンティティをきちんと持っている姿を見れる時は何より嬉しい気持ちになります。
色んな感情が本当に自分の中にほとばしり、複雑になったり悲しくなったり後悔してしまう事もあったりしたけれど、その時その決断が自分にとって最善だった、と思えるようになったかもしれません。
うっかり自分のことを責める、責め責めモードに入る瞬間もあるのですがそれはかなり健康的ではないという事に気づいたし、何より自分の事を許してあげると他者をも許してあげられる。と私は思うのです。
だから誰かを攻撃している時は自分の事を攻撃しているのと何ら変わりないように思ったりもします。
そんな事を体感出来たということは他者の存在があってこそなのですよね。
それは良い体験もあまり心地が良くない体験でも自分が見ている世界であってそこには色んなメッセージが散りばめられていると思います。
というか、今月はすてきな友人たちとの対話やメッセージのやり取りが多くて、そして新しく出会ったひと達との刺激を通してまた新たな自分を発見したり、何だか大袈裟だけれど生きているって、ただ息をしているだけでとにかくすごいんだなあと感じます(大袈裟😂)
そうそう、その中ですてきなご家族に会ったお話をさせてください。
お仕事上でお会いしたご家族なのですが、とにかく何だか良い気しか感じなくて。というのも話していてとても気持ちが良いしカラッとしているし、何より物事を「できるか、できないか」ではなく「やりたいか、やりたくないか」で考えているのですよね。
もちろん、できるできないも考えていらっしゃいました(お金のこととか、場所のこととか、物理的な条件諸々を)
でもその根底には「やりたい」という気持ちと「その選択は気持ちが良いものなのか」という感覚をすごく大事にしているように私には見えました。
そしてお話していてすごーく感動したのが、ご両親がお子さんの意見というものをすごく尊重していらっしゃるということ。
元々、今回私たちのところにお話しにきた理由はお子様が「やりたい」という意向があったみたいでご両親はその意見を汲んで色々と調べた結果ここにたどり着いたとのことなのです。
でもその、物理的な条件とか色々絡んでくるとどうしても大人の話になってしまうというか、最初は子供が言い出しっぺだったけどいつの間にか大人の話になって「じゃあやるか」か「やっぱ難しいかも」という話の展開になることって多いのではないのかと思います。
けれどそのご両親は一つひとつお子さんに「あなたはそれを本当にやりたいと思っているの?それはできることなの?」ということを確認していました。
お子さんの事をひとりの人として認識しているようでとても眩しく見えました。
私は「小さな大人」という言葉が好きです。
小さな大人とは子供の事。
子供はただからだが小さいだけで大人よりもはるかに人間らしい小さな巨人だと思っています。
思わず自分それ出来てるかなーと思いました。仕事でたまに子供と接する事もあるので。いや、出来てるかどうかではないですね。やりたい、です。
すごく良い出会いと対話をありがとうとお礼を伝えたくなりました。
一つひとつ丁寧に体感していく。その積み重ねがとても幸せなのではないかと思う最近です。