
5月について半分記憶喪失状態ですが、過ぎ去るのがとても速かったし新しいことが色々と始まったりして慣れない事ばかりで生活のリズムを整えるのが難しかったように思います。
天気も不安定で心も身体も不安定だったように思いますが、色々あっての今よね、と思っています。
実際下旬には吹っ切れたようにガンガン歩き回る時間を作ったりして新鮮な空気を味わってきました。というのも少し遠出してきたのです。それは聞きたいお話会があり、たまたま休みも重なって、しかも後押しをしてくれる様に仕事もスムーズに片付いたりお天気も急に晴れてきたりこれは行くしかないと、少し疲れ気味の脚で向かったのですが、現地に着いたらその脚の疲れはどこへやら。それだけ身体と心に風が吹き抜けた数日でした。
その場所は何十年も前に訪れた事があるのですがその当時の記憶は全くなく、でも何だか全体的に懐かしい感じがする街、空気がとても軽くて人も良い意味で丁度良いという感じでとても居心地が良かったのです。
ほんと何というか帰るのがとても惜しくなってしまう感覚とはこのことか
まずは本を通じてしか知らない方の生のお話を聞けたこと、それは行きた書籍を読んでいる様な感覚で、でもそこには本だけでは味わえない音や匂いや感覚がある。そして同じような興味を持った方々が集まっている空間の中に身を置くというのが稀有な様な、必然の様な不思議な心地よさと刺激がありました。
こうして非日常に身を置くことによって自分の日常を俯瞰して観れるのだなあとも改めて実感する事ができました。
少し仕事や日々について視野が狭くなっていた辺りだったので私の事を知らない人たち、土地に脚を踏み入れるというのは本当に自分がまた生まれ変わるような体験なのかもしれません。
そしてまた日常に戻ったわけですが、ちょっと、今までにない感覚が襲ってきまして。。
それは、“生きる!“と事を唐突に強く意識し出したことです。
当たり前のこと過ぎて恐縮なのですが、ちゃんと食べてちゃんと寝る。そんな当たり前の事をきっちりやりたい。そこにエネルギーを注ぎたい。ちゃんと自分のコンディションを整えていつでも自分の真ん中に入れるようにしたい。
そんな事を強く思いました。
それは真面目にやる、という事ではなく、この身体を大事にして身体を通して今自分の周りにあることを全身で感じ取っていきたい、といった感じです。
死んでる様に生きるのはノーセンキューです。
もうそのことを感じるとふつふつとゆっくり沸騰してくる感じがあって日々のありがたみとまだ見ぬあれこれを楽しめるような、そんな感覚が余韻として残りました。
色んな事が重なってなのかよくわかりませんが、もっとじっくり色んなものを味わいたいなと思えるようになりました。
https://stand.fm/channels/5f79c921f04555115d2523fa
そうそう、この方のポッドキャストを聴き始めたのもあるかもしれません。何だかねー感覚が開く感じがするんですよ。
そうそう、感覚を開く、という練習も強化していきたいと思います。
感覚をシャットダウンしないと生きられないような時代は終わりを告げました〜と勝手に思っています。そんな時代あったのか?というそもそもの問いがありますが、それは私が勝手に作り出していた想像の時代なのかもしれませんね。
感覚を開いて生きていける時代はもうとっくに存在していたけど私が気づいていなかっただけです。
梅雨が始まる6月だからこそ自然のたてる音に耳を澄ましていきたいと思います。
梅雨冷えもあるかもしれないので身体を温めて過ごしていこうと思います。
長文読んで頂きましてありがとうございます

