しおりがない旅に出る理由 

遠くに住んでいる友人の展示を観に行ってきました。よく、あの場所でサバイブしながら作品を作っているなあ。。と、尊敬の念を覚えました。

そして作品の繊細さと同時にその作品達は日常という舞台の地続きなんだ、と染み入る様な感覚を覚え。。

生活というものは一見地味だけど大きな力を持っているのだと改めて思わせてくれた展示でした。

どうもありがとう😊

さて、そんなことを考えながら出発迄コーヒーを飲んでいたのですが、私は何故に遠出をしては活力を得ているのだろう?と思いました。

僕らが旅に出る理由、みたいな話になってきますが

それはズバリ日常の偉大さを実感するためなのかもしれない、と思いました。

勿論、自分の知らない新しい土地・人・物に出会えて心地よい刺激を感じられるという点もあります。

けれど、日常の対極にいても考えてしまうのは自分の生活。でも、より客観性を持って考え得る事が出来るように思います。

そして自分は何者なのか、何を望んでいるのか、そんなこともいつもよりハッキリしてくるような気がします。

というか、そんな事考えていたら人生があっという間に終わってしまいそうですが🤣そのプロセスもまたやりたい事なんでしょうね。

そう、私はひとりでブツブツと哲学してるのが好きな人間なんです。。旅に出ても観光名所も巡らないし、とことん歩いて土地感覚を身につけたいと思って歩き回った末に疲れ果てているという。でもコーヒーだとか、本屋だとか、アートの匂いがする面白エリアにはとことん敏感です。

旅ベタとも言えるかもしれないけれど、これもあり。失敗に直面しては次の手段を考えていく、旅のしおりをいっさい書けないタイプだと思う(笑)

だからきっと損をしている事も多いと思うけれどそんなあれこれを面白がっている自分もいる。

そして旅をするたびにいつも思うこと。

観光だけだとその土地の表面、あるいは断片的にしか理解を得れない。

当たり前といえば当たり前なのですが、住んでみないとその土地の地力だったり人々の概念というものは見えてこないんですよね。

最初の直感を私は信じますが、やはりそれだけでは見えないものもあるので、ひたすら歩き回るというスタイルを取ってしまうのかもしれません。


夜は短し歩けよ乙女

読んだ事がないのですが↑このお話の舞台をウロウロしていたみたいなので読んでみようかななんて思いました。

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