お腹がへった、の幸せ

最近、お腹がへってからご飯、もしくはおやつを食べることにすごく幸せを感じます。

私は食べるのが大好きでついつい食べすぎてしまったりしてその瞬間の欲求に抗えない方なんですが、見直しています。

とは言えど、食べるものには何かと気を使っているんですが、食べ物の素材に気を取られていて“自分の食べ方“をおざなりにしていたという事に気づきました。

それはやはり適正量を食べるという事と、空腹を待って食べるという事でした。どれだけ素材が良いものでも、食べ方を誤れば健康に害を与えかねないですよね。

年柄年中食べる事を考えているわけですが、息つく暇もなく過ぎ去ってゆく日々、どの様に食事をするかを考えるとどうしても“効率化“を考えてしまうわけです。

例えば、今日は午後いっぱいプライベートな時間が取れないから朝食は絶対食べなければ(でもお腹は空いていない)という時、先を見越して朝食をしっかり食べちゃうんですよ。その結果、あんまりパフォーマンスが上がらないということがありました。

頭だけで考えて身体に何も問いかけていなかった。

お腹が減っていないならそのまま仕事に行ってしまってお腹が空き始めたら隙を見て栄養補給することもできるのです。そして夕飯にはきっちりとお腹を空かせておく。それくらいの気楽さを自分の中に兼ね備えていて損はないんだよなあと思います。

簡単な様でなかなかできなかった事です。今でもああ、失敗した。。ということもよくある😭けど、お腹が空くかもしれない、それで調子が悪くなるかもしれない、健康に良くないかもしれない、という不安で頭がいっぱいになるよりもお腹が空いたよー、何食べよう?という楽しみで頭を満たしたいんです。

お昼になったから食べなきゃ、・・・しなきゃ。この“しなきゃ“に縛られている自分をどんどん解放していきたいです。

贅沢な悩みだと思います。ただ、情報などと一緒でどれを自分は選ぶか?ということが問われているんじゃないかと思う今日この頃です。そしてそれをするには主となる自分が何をしたいか?も同時に問われている。

周りがこう言っているから、ニュースでこう言っているから、ではないんですよね。常に「あなたはどうしたいの?」がまとわりついてくる。

私はですね。。空腹を感じてうきうきしてご飯を作りたい。。そして作ったものや買ったものをその日のうちに消費してしまうのも良いんですけど、楽しみが少しだけ明日に続く、もしくはそれをアレンジして別のものを作る、とか少しのアイデアと発見を忘れずに作りたい、素材のせいにしない、後、よく噛む!そんな感じでしょうか。

ドラマの一気見も楽しいんだけど、毎日1エピソードずつ見ていく楽しみを取っておきたいのが今の気分です。

今、きのう何食べた?をやっててシロさんとケンジのやり取りにだいぶ癒されています。ちょっとずつ見たい=食べたい🤤

メープルシロップ増々でここはひとつ

最近見聞きするものにやたらと「夢を見る」というワードが組み込まれてきます。

あ、夢って眠っているときにみるものではなくて「ああなりたいな、こうなりたいな」の方の夢です。

人生を楽しむ秘訣、それすなわち夢を見ると言っても過言ではないのでしょうか。

さて、そんな私はここ数年純粋に夢を見るという事が出来ませんでした。

その理由はすばり!疲れていたから!!

疲れってほんとにあなどれないと嵐が過ぎ去ったあと思うわけです。

今は少しましです。こんな感じになりたいな〜という気持ちがふつふつと沸いてきました。

私の話ばかりで恐縮なのですが、この数年は疲れていたのもありますが、何より自分を信じることが圧倒的に出来ていなかった!

外側の条件とかを気にして純粋に、自由に夢を描くのもなんだか馬鹿らしくなって一人シラケモード😒(←シラケって打ったらこの絵文字出て来た😂)

次の休みのビジョンを描く。。それもまた夢、と言えるのではないだろうか?

今度の休みの朝はホットケーキにメープルシロップ増々で!という理想をまずは叶える。

それが次に向かう原動力に繋がっていくと思う。

ここは「様な気がする」ではなく「思う」って書こう🙌

というわけで、メープルシロップ増々でここはひとつ宜しくお願いします🥞

換気扇の調子は上々だ

9月28日は私の父の命日でもあります。

そして今年でなんと20年目になるようで、月日が流れるのは本当に早いなあと思ってしまいました。

今でもたまに、生きていたら私たち家族の生活はどうなっていたんだろうなあと考えることがあります。

私は当時高校生であんまり素直に話をすることも出来ないままだったので後々に後悔する事も多かったように思います。

そしてその事を悲しい事だけではなくて多くの事を学ばせてくれる、気づかせてくれた20年だったとも思います。

冒頭でもし亡くなっていなかったら。。とも書きましたが、きっとそれでもその人生はそれで素晴らしいものだったと思う。そして今自分が送っている人生もとても素晴らしいものです。

今まで色んな土地に住んで色んな人と会って、時には疎遠になったり、でももしかしたらその人たちともまた再会するタイミングがあるかもしれない。

私は自分が進んできた道をそのまま突き進むのか?と思いきや結構ぶっ壊してまたまっさらにして新しい土地を開拓していく性質がどうやらあるみたいで、その度に色々と苦心したりあれこれ悩んだりするんですが。。

自分でもなんでこんな事やってるんだ??!と甚だ疑問に思うことがあるのですが、どうやらそれをやりたいみたいなんですよね。

そのままのキャリアを築き上げていけば良い気もするのですが、更に良く、そして見たこともない風景や人々を見るにはどうすれば良いのかと考えた時私は壊すという事を選択してしまう様です。

そんな事を続けてきた20年ですが(こうして書くと長い!)、やはり父に素直に色々と話せなかった事は後悔の念としてずっと付き纏っていました。

でも、その後悔を手放そうと思います。

その時その時で自分の最善を生きてきたから当時の自分にはその様にしか出来なかった。仕方がないのです。

これは、普段のことにも言えることなのではないかと思う。人にはその人の許容範囲があり、外部から変われ変われと言われて無理やり変えるものではない。その人のペースがありリズムがあるから。。

社会生活の中で葛藤するのはここですよね。それが出来る環境にいることができれば大丈夫でしょうが、範囲外の事を究極的に求められるとそれは苦しいだろう。。それが楽しくて好きっていう人もいると思うので全ての人とは思いませんが。

でも、良いんじゃないかなあ。出来ない時は出来ない。無理な時は無理。そうすればきっとマニュアルに載っているような道だけではなくて独自の道が切り拓けていける。。と思うのです。

少ししんみりした投稿になりましたが、うじうじはやめて自分を容認してまた20年始めるぞ!という感じです。うじうじしまくったからカビが生えてきそうですよ。脱・湿気、目指せ風通しの良い部屋。絶賛換気扇稼働中です。

良い夜をお過ごしください:)

リセットのごとく何回でも生まれ変わる

タブレットで絵を描いていると不思議な気持ちになる時がある。

片付けるものが何もない。

私は今まで紙と鉛筆と、時には絵の具、時には周りにあるものを使って作品を作ったりしてきたけれど、デジタルで絵を描いたことはなかった。

正直なところまだ始めたばかりというのもあるけれど、結構楽しいです。そして私は80年代生まれという事もあり、アナログな時代も若い時に通っているからかこのデジタルな感じをいまだに当たり前のことと思えない時があります。

例えば、タブレットで絵を描いて間違えたら何の痕跡も残す事なく消しゴムツールで消し去ってしまえる、レイヤーをゴミ箱にポイすることができる。

紙の上だとそうもいかない。足跡が少なからず奥に奥に残っている。

昔、「テレビゲームなんかはいつでもリセットが出来てまたスタートさせる事ができる、それの繰り返し」みたいに仰っていた方がいたのだけど、それを聞いた時当時の私はなんかあまり良い印象を受けなかったんですよね、何でだろ。

都合悪くなったら止める、みたいに思っていたのかもしれない。

でも今は逆。

リセットできるなんて素晴らしいじゃないか。。!

リセットするとか、途中でリタイアするとか、方向を変えるとか、少し立ち止まってみるとか、何もしないでじっとしている事って、常に何かを考えて四六時中ソワソワ、常に頑張り続ける、という状態より難しいのではないかと思う。もちろん、人によると思いますが。

私は落ち着きがない方なので手持ち無沙汰になると何だかソワソワしてしまうんですよね。だからじっとしている事が正直なところ得意ではないと思いますが、あのじっとする、という行為をする時とても神聖な何かを感じます(大げさ😅)

でもそのじっとしよう。。と決めた時に決まって猫がじっとしている姿をいつも思い浮かべています。具合が悪い時、猫は何も食べないしじっとしている、という話を聞いて以来、ちょっとお手本になりつつあるという🐈

だからこのタブレットで絵を描くという行為も、間違えるたびに何回も何回も生まれ変わっている様な感覚を覚えるのです。

もはや2Dではなくて4Dな次元を体験している感じですが。

その傍ら、3次元の世界に戻って色んな素材に触ったり、紙や色んな素材で作品を作っている人たちを見るととても愛おしい感覚を覚えました。

すごく不思議な体験だったんですけどね。。

こんまりさんのyou tubeを見たからなのか、アニミズムにまつわる本を読んだからなのか、物に対する感覚というものが少し変わってきた気がします。最近外から帰ってきたら靴の裏を拭くようになりました(これもまたこんまりさん影響。影響されやすい😂)でもほんと、靴裏って色んなものを受け止めているところなのに見過ごしがちだなあと納得したんですよね。

アナログもデジタルもどちらもバランス良く組み込んで、良い感じのハイブリッド仕様になっていきたいなと思う今日この頃です。

こどもの頃、好きだった事

子供の頃、好きだったことを覚えていますか?

私は子供の頃をおぼろげにしか思い出すことができません。きっと好きだった事は色々あったと思うのですが、大人になった今でもはっきりと覚えているのは好きな漫画の写し絵を描く事でした。

後はノートに延々と人の絵を描いていく。。色んなポーズだとか、手の描写を書いたものがノートいっぱいになると嬉しかったものです。

とにかく人(女の子)を描いていました。大人になった一時期もポートレートの様なものをスケッチブックに描いていたりして好きだったんでしょうかね。

でも、イギリスに留学して私が学んだものはいわゆるコンテンポラリーアートで、それはそれはワクワクするものでした。ちょっとした疑問や自分の考えを社会の動きと一緒に検証したり、リサーチしたり、とてもエキサイティングでした。

でもその傍ら、子供の時に描いていたような人の絵はすっかり描かなくなっていました。

それはただ単に“何かを見て描いたもの“、独創性があるわけではない。どちらかというと作品を作る前のドローイングとして準備段階に使う技法の様なものとして捉えるようになりました。

でも最近また少しずつ描くようになってきたのです。タブレットを使うようになってデジタル仕様で気楽に描き始めたという事もあります。

そしてそしてあることに気づきました。

それは

ただ見て描くこと(つまり模写ね!)を自分で制限していた!ことに!

これに気づいた時、正直びっくりしてしまいました。だって私ってば模写はクリエイティブじゃないと勝手に思い込んでいた。自分の頭から出したものやきちんと丹念に調べて昇華したものを世に出していきたいだなんて事を思いこんでいた。

子供の頃に好きだった事を大否定しているような感じ?じゃあないか。。!と何だか切なくなってしまいました。

なんでこんな事を考えたかというと、とある方がyou tubeで何か自分で自分に掛けている制限についてのお話をしておりまして

考えてみたんです。

私は何か自分に制限をかけているだろうか?

ちなみに布団の上にひっくり返って考えていた、のでそのうち寝てしまう。。😂その時一つ気づいて“はっっっっ“となったのですがそれはまた後日。。)

まあ模写も制限のうちの一つだったんです。ううむ。。大人になるにつれて、社会生活を送るにつれて、何かを学ぶが故、こっちの方が正解なんだ、という刷り込みに気づかずにここまできてしまった。

しかもそれって誰が悪いとかじゃなくて自分で選んでやったきた事です。

何だか目が覚めた気分です。

話はいっちばん最初に戻りますが、何がやりたいかわからなくなった時、子供の時に好きでやっていたことに立ち戻ってみると良いそうです。

私は立ち戻ってみたら自分で自分にかけた洗脳から目覚めることができました(ってそんな大袈裟な、と自分で突っ込んでみる)

でも思い込みって本当に色んなところに転がっているから、気づくと本当に見える世界が変わるのかもしれません。

正直な今の気分は“うおーーーーーーーー“と叫びたい気分です。だって制限から楽になったのだものーーーーー!

超市場

食材を買う時気にかけていることはありますか?

私は原材料や添加物、産地、勿論値段の事も考えながらお店をウロウロしてます。

何よりそのお店の雰囲気が良いか、店員さんが接していて気持ち良いかなどもよく考えています。

私にとっては結構重要事項だったりするのです。

そしてさあ、この食材を買うぞとなったらその中から一品選ぶ時、これは野菜の話になるのですが、美味しそうだな、良い顔してるな(これは魚)と思った物を手に取るようにしてます。

この前スーパーで小松菜を見ていたら色も濃いし、みずみずしい感じの物がありました。

東京都は江戸川区から来ている小松菜。私は都内に住んでいるのですが、やはりここまで配送されるまでに近隣の県より時間がかからないためかフレッシュさが残っていたのだと思います。

スーパーはとても便利で全国のあらゆるところから届いた物が購入できて、その事も本当に有難い事だと思います。

でも、それ故に自分が住んでいる土地では何が採れて何を食べるのが理にかなっているのかを、忘れがちになってしまうデメリットもあるように思います。

この事を述べてだからどうなる?とも思うのですが、あれこれと考える事を忘れないようにしたいと思うのです。

何より感謝していただくのが先決だとは思いますが!🙏

秋刀魚の季節がやってきて嬉しいです🐟

レイヤー・オブ・ライフ

最近のことあれこれ

自転車の空気を入れにいかなければ。。!と考えながらずっと行けなくてこの前ようやく入れに行くことができた。

対応してくれた店員さんはおそらく20代前半の髪がきっとまっすぐにしか生えてこないだろう大きなメガネの男性の店員さん。

「クロスバイクは皆壊れやすいとか言ったりするんですけど、2週間にいっぺんは空気入れてください」とぴしゃりと言われた。空気の入れ方もみっちりと教わりました。

すみません〜とお礼を言ってgoogleカレンダーに空気を入れた日を入力しておきました。

こういう店員さんに出会えると私はなんだかすごーく嬉しくなってしまってしまい、また行くでしょう。

言葉を交わしたのはほんの数分だったけど、自転車が好きなんだというのがダダ漏れしているのがなんとも心地が良いのです。

また、これとは違う件で今度はドアノブが壊れるという事件が起こり、早朝に業者さんを呼んでドアノブを交換してもらいました。

その方もまあドアノブマスターみたいな感じで(まあ、当たり前と言えば当たり前、お仕事だし)作業の一連に惚れ惚れした。あと、道具箱がきちんとしているのも、質問に対して一から十までしっかりと余談を付け加えて説明してくれたのも(笑)、安心感を生むんだなあと改めて思いました。

要は、私はプロの仕事を見るのが好きなんだと思います。

それは技術ももちろんだけど、それより何よりその人が自分の仕事にプライドを持ってやっているのか、を見ているんだと思います。

その人たちを見て自分に言い聞かせてるとこもあるのかもしれませんが。自分の心にぬるい部分があると甘いな、とも思うし、気づけて良かったな、とも思います。

この前、とある方に接していてちょっとムッとしてしまったことがあった。その方は多分、悪気はないのだけど喋り方が荒く怒っている様に聞こえた。後、ちょっと配慮にかけるなあ。。と思う行動もあったりして嫌だな、と思ったのです。

でも私もそこで嫌だなと思って特にアクションも起こすことはなくサラッと立ち去った。でも。。自分の捉え方を切り替えるちょっとした工夫を怠った事を少し後悔しました。私もその時何となく疲れていてそのパワー迄湧いてこなかったのもありますが。

でもその嫌だな、と思った空気って身に纏ってしまうので切り替えようと意識するのも仕事のうちだなと思った。

やっぱり自分が気持ちよくないと周りも気持ちよくないし、その日一日を左右するから。

こういう事があるたびに、やっぱり歳を重ねるってすごい事だと思う。20代の頃には見えてこなかった様なレイヤーが見えてくる。特に私は自分の事でいつもいっぱいいっぱいだったし鈍感だから見えていなかったんだろうなあ。

可能性は無限大、そんな言葉がよぎりました。

生きてるだけで奇跡な土曜の夜

食べ物をお皿の上に丁寧に盛り付ける事が出来ると異様に嬉しい。

写真のトースト、目玉焼きの下にはアボカドが入っているのですが、きれいに輪っかの様にスライスしたアボカドを並べる事が出来ました(うっかり目玉焼きを載せてしまい写真は取り損ね(泣))

今まではダイス状にカットしたものを乗せていたのですがインスタやnote等できれいにスライスして乗せている方のポストを見てやってみました。

そして最近ついにこんまりさんデビューをしました。。!いやいや、あそこまで注目されている理由がようやく分かったというか、眼からウロコといわんばかりになるほど、と思う事が多くて最近ちょこちょこ断捨離をしていました。

私は物を溜めるのがあまり好きではないのでそんなに捨てるものはないと思っていたのですが。。彼女のいう”ときめくもの”に従ってチェックしていったら捨てるもの結構あった(笑)

その結果、空間に余白ができて物をゆったりと置いてあげる事を自分は今までしていなかったのだなあと新たな発見がありました。

というより、自分が心地が良いと思える空間に近づこうとしていなかったのかな?と思った。

それによって何が起こったかというと、心地よく物が並べられていたりするとほんと心が穏やかになるんですよね。食べ物の盛り付けもしかりです。

更に言えば、それをやった自分、エライ。なのです。

ナチュラル系の本ではよく、「ていねいに」という言葉と共に素敵な暮らしを送っている方々が素敵な写真と共に登場していたりしますが、実は私あれを見ると少し白々しい気持ちになる事がありまして。。

きっと性格がひねくれているからなんだと思いますが、きちんと見せ過ぎている印象(作り込み過ぎている)が否めなくてこれはナチュラルと言えるのか?と考えてしまう事がありました。

でもあれって「ナチュラル」というよりは「自分にとって心地よい有様」を表現していると言う方がしっくりくるなあと今回の出来事を通して思いました。

心地よい有様って結構作り込む事でもあると思う。

それが生活していくにつれてだんだんズレたり崩れたりして、その度にまた手直ししたりする。

つまり手をかけるという事が日々とその心にちいさな充足感を生むのではないかと思う。

それをする事で場を好きになるだけではなくそれを決行した自分も好きになれる。そういった好循環もあるのではないのかなあと考えていました。

実際、アボカドがきれいに並べられた時すごく幸せな気分になりました。かなり単純案件ですが(笑)その日一日が気持ち良く過ごせたというか、かすかな心の支えになっているのです。

話はだいぶ飛躍してしまうかもしれないけれど、もし自分が動く事で自分を少しでも好きになれるのなら、自分が幸せかどうかって外側の基準では本当に決められないことだと思う。

「好き=幸せ」という方程式って、「嫌い=幸せ」の方程式より、正しいかはさておき、力強いと思うのは私だけでしょうか。

私はよく思うのですが、「自分は不幸せだ、ついていない、恵まれていない」という設定を自分に課しては絶対にいけないと思う。

自分でそう思ったら本当にそうなってしまうからだ。それによって周りの人達にも「あの人は不幸せそうだ」と思わせてしまう。

ないものに眼を向けるよりはあるものへ、心地の良くないものは心地が良くなるように手を掛けてあげて、自分の手足を少しでも良いから動かしてあげる。いつでも自分の味方でいてあげること、許してあげることをしてあげる、それだけで充分なのではないかなあと思う。

 

しあわせを外側の基準で決める事は出来ない。いつでも自分の内側で基準は決まる。

というかこの時代、生きてるだけで奇跡です。それだけで凄いし今落ち込んでいる人も自分を褒め称えて欲しいなと思う^^

皆さまどうぞ、良き土曜の夜をお過ごしください!

狭間で見る夢

3月に仕込んだお味噌の天地返しをしました。2つ仕込んだのですが1つは酵母がびっしり隅っこに育っていてそのまま混ぜ込みに。

カビじゃないよな。。?と思いながらなめってみると身体が受け付けるお味だったので多分オッケー!

3月からここまでの生活の流れを思い返していたのですが、色々と変化があって結構頑張って走ってた。たまに息切れしてぐったりして休む事もあったけど、その傍らお味噌達はキッチンの片隅でこつこつこつこつ発酵していたんだなあと思うとちょっと胸アツです。

そしてまた別の日には畑に行って秋冬の準備をする為にトマトの収穫に行きました。もう駄目になっているかも。。と諦め気味でいったら見事に実になっていて本当に嬉しかったです。何粒かはもう少しだったのですが諦め春夏楽しませてくれた根っこを引き抜きました。

それから秋冬の土作りに移ったのですが、肥料を少しずつ入れるところをどばっと入れてしまい、なんとか頑張って全体に行き渡るように耕しました。

良く考えれば少しずつ入れれば良いでしょう!と反省。料理する時も粉を液体混ぜる時とかいっぺんにいれるとダマになったりするのにねえ。。いつも私の頭の中は急いでいてディテールを見逃したり素材の気持ちや特性を考えきれていないのです。

でも、土に触って心が少しほぐれました。触っていた小一時間で手から色んな情報を、体感から様々な気づきを得た様でした。

自然の摂理の中で出る結果は時に痛々しく時にとても美しい。色んなごまかしをしようとするのは人間だけで摂理の狭間でいつも揺れている様に思う。でもだからこそ私達は夢を見てはまた覚醒して色んな思いや言葉を形にして行くのではないかと思う。

あやうく一生懸命生きるところだった、よ!

昨日、突然海がみたくなってふらふらと湘南の方へ足を運んできました。しっかりとアーシングもして、少しの時間でしたがより地球の近くへ触れる事ができた良い時間でした。

しかし、あの自然に触れると本当に開放的になれるのはなんなんだろう?と思います。私が今都会に住んでいるからそう感じるだけなのか。

脅威になる時もあるけれどいつも何かを気付かせてくれるそんな存在には変わりないな、と特に最近ゴールデンカムイを読んでたりしてそんな事を考えています(最近口を開けばこればっかりです。だって、面白いんだもの。。!)

その海の近くに住んでいる友人に会いたかったけどニアミスで叶わず。彼女とはとあるセミナーで隣同士だった人でなんと名字も一緒!という事で連絡先を交換した人でした。同じものに興味を持っていてたまたま隣にいて同じ時間を共有していたという、不思議なつながりです。

そしてすごくびっくりしたのですが、自転車やバイクにサーフボードをくくりつけて皆さん運んでいるのです。もう、軽いカルチャーショックでした(笑)あんな部品始めてみました。

その後、帰る前にお茶を飲もうと駅ビルのスタバに寄ろうと思ったらお隣の本屋さんで二冊までだったらスタバに本を持ち込んでも良いよというオファーが出ていたので、イラストに惹かれこの本を手に取りました。

韓国でも日本でも人気の一冊の様で、確かに読んでみると日本の現代人が抱えている悩みや葛藤がそのまま映し出されているようでした。私はその時かいつまんでしか読んでいないのですが、うんうん、と共感できる部分が多かったと思います。近い未来にきちんと読みたい一冊。

暑すぎてあまり頭が回らないのですが、どうぞご自愛ください。

久しぶりに文章を打ち込んで、なんだか変な気分ですが。。なんとか言葉を絞り出せました。秋に向けてちゃくちゃくと心身ともに準備をしっかりしていきたいです。