こぼれでた表情には

昨日、今までの努力が報われた瞬間の人の顔を近くで見る機会があった。普段はポーカーフェイスな印象だけど、これが心からの笑顔なんだろうな〜と思わせるほどほころんでいた。社交では作れない笑顔。なんだか得した気分。😚

他人事なんだけど見てるこっちが嬉しくなっちゃうやつ。ひょひょひょ

感情の起伏についてしばし考える事がある。感情に左右される事が多いので気をつけているのだけれど、出し過ぎても大変な時もあるし抑えつけ過ぎても宜しくない場面も出てくるように思う。

多くの人が平気な顔をして結構大きな悩みや疲れを抱えてるんだろうとよく思う。大きな声を出せる訳でもないし(カラオケも行けないですしね)仕事などでは特に周りに迷惑をかけない様に我慢する事もあるんじゃないだろうか。

そして何より、嫌な感情等が出てこようものならそんな事を考える自分を責めてしまう人もいると思う。例えば、嫉妬や執着など、特に身近な人達にそういった思いを抱くと責めてしまう傾向があるのではないかと思う。

私も過去の出来事に今更腹が立ったり、恨み辛みの言葉が四六時中頭から離れなかったり、嫉妬をしてみたり、なんでこんな事を考えてしまうのだろうと思う事があるのですが、そんな時はどんどん出してしまえば良いのだと思う。出したら終わり、そしてそんな自分を責めない事が何よりのポイントだと思います。だってどうしようもないことだから。

今日、久しぶりにゆっくり頭をからっぽにして散歩をして春の気候が良すぎて感動していたのですが、私達を取り巻く自然も同じなのではないかと思いました。

自然は荒れ狂う事もあり全てをズタズタにする事もあるけれど、今日の天気の様に素晴らしい春の風景を見せてくれる事もある。そのどちらも欠如することなく共存する事が何よりも美しい。

何が言いたいかといいますと人間も陰の部分も陽の部分もバランス良く共存させて良いのだという事です。なんか、良い事ばっか言ってる人って信用ならないじゃないですか(笑)

話は一番最初に戻りますが、心からでた感情を眼にするとやはり心動かされるものがあるのだと思います。

ここ近年の個人的な気づきなのですが、私は人の表情を必要以上に読んでしまう傾向がある(気を使えるタイプでは残念ながらないようですが)。その事で疲れてしまって煩わしいとかいやらしいとかあんまり良く思えていなかったんですけど、いや、まてよ、プラスに考えれば人の精妙な表情(ブログ冒頭の様な)にも感じいる事ができて幸せ分け与えてもらえるからラッキーな面もあるわ、と。

だからオーダーメイドのポートレートの仕事をしたりだとか、人の顔に興味があるのかもなという新しい気づきを得たのでした。

こんな話をした後にビジネスライクな話に移るのかよ!って感じですが(笑)改めまして私は自身のオンラインショップ内でオーダーメイドのポートレートを受け付けております。ポートレートって日常では役立つものではないけど、ちょっとした贈り物や何かの記念、節目など、記憶を彩るお手伝いが出来たらと考えています。

あんまり仕事の事を言うのも気まずいな。。と思っていたのですが、これは自分が胸を張って良いといえる仕事だなと思いまして。なんかもっと自分を発露しようと思ったのです。

だからこの場を借りて改めてご紹介させて頂きました!ご興味があるかたは是非こちらを覗いてみて下さいね。

どうぞ良い夜をお過ごしくださいませ^^

清らかで明るい日差しの元に甘茶はそそがれる

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清らかで明るい季節

あの木はあんな花をつけるのか

もし先人が残してくれた知恵と、今のこの自然環境と、現代の人間の身体が少しでも連動しているのなら、この冬に気付けなかった事がどんどん明るみに出てくるタイミングでもあるのだろうかと思った。

清らかで確かに明るいけれども、雨が降り気温の変化になかなかついていけない時でもある。去年の今頃もこんな風にしとしとと雨が降っていたなあという事を思い出した。

去年の今頃から一年間、振り返ってみると世の中も自分も大きく変わったように思う。制約と自由の中で何を大事にしているのか前よりは理解できたのではないかと思う。

一つきづいた事は、私は一服する時間がほんとに好きだなと思った。お菓子を食べると太るから、とか3食きちんと食べなければだめだ等と考えて抑えてしまうと余計なものを購入してしまい逆効果になってしまう。

だから最近は腹を括って一食分をお菓子(といってももっぱらスコーン)を自分で焼き、眠りを妨げない時間にコーヒーを摂取している。

一日三食きっちり、という考えには全くそぐわないけど心が満たされているのでまあ良いか。と思っています。何より焼き立てを食べれると本当に気持ちが躍るというか、できたてのものは凄いと思った。

こうしなきゃ、という価値観にある意味で縛られていたのかなとも思う。

もっともっと柔軟に軽やかになっていきたいなと思った出来事でした(明るみ案件?)。

気温の変化が激しいのでどうぞご自愛下さい。

清明(清浄明潔)
初侯:玄鳥至(つばめきたる)4/5-9頃
次候:鴻雁北(こうがんかえる)4/10-14頃
末候:虹始見(にじはじめてあらわる)4/15-19頃

そのできないことは才能

先日、初めての現場でひとりオープン作業をしていました。最後の作業、ドアの鍵を開けるという作業に取り掛かったところ鍵が硬くて回せない。。という事態に。

何回か試してみるもなかなか出来ず、おまけに外にはオープンを待っている人がいるときた。悪戦苦闘していると、その外で待っていた方が「管理会社の方に連絡しますよ、僕関連会社のものなので」とガラスドア越しに話しかけてきてくれて管理人さんがペンチを持ってきてくれたのでした。

申し訳ないやらありがたいやら、という感じでその場はなんとかなりました。その後何回か手で開けてみようと試みたのですができなかったのですよねえ。。でも、数日後再チャレンジしてみたら。。出来た!(泣)

ちょっとした身体の使い方なんですけど、他のスタッフはなんの問題もなく出来ているみたいなので、私はそういうちょっとした身体性のコツをつかむのが結構苦手なんだなあと思いました。

確かにそういう3次元的作業があまり得意ではない、というか習得するのに結構時間がかかるタイプ。。これって不利な事多いよなあ。。と少し肩を落としかけたのですが、

でもまてよ???

そんな鍵が開けられない自分の眼の前に助け船を出してくれる人が既に現れていたってなんだかすごいタイミングじゃない??とその後思い返していたのです。

何が言いたいかといいますと、

自分が出来ない事は誰かが出来る事である

自分が困っている時に助けてくれる波をキャッチするアンテナを立てる事が出来た自分よありがとう

人は完璧じゃない。だから補い合いながらこの社会は回っているんだなあと思いました。甘んじ過ぎるのは少し違うかな、という例もあると思いますが。

そして自分には出来ない事があるという事はその反面、他の人が苦手とする事がすらすらと出来る可能性もある。ここでの私の才能は莫迦正直に困っている姿をさらけ出せた事でしょうか。。(複雑)

どこかの自己啓発本の件みたいで申し訳なのですが。

自分の苦手の裏に隠れた才能を掘り出すのも大事だけど、そもそも自分が何を苦手とするのか?という事を自覚するのも物凄く大事だし、それを周りの人に認識してもらう=常日頃自分をいかに嘘偽りなく発揮しているという事にも繋がるのかと。

そう思うと周りの人にも自然に優しくなれる様な気がするし、人にちょっとした期待や願いを持つという事がなくなる様な気がする。期待やこうなって欲しいという願いって、受ける側はちょっと重たく感じるんじゃないかなと思うのです。念を背負わされるというか(と、ふとこなきじじいの顔がよぎる。。)後は、期待が叶わなかった時に一番がっかりするのは自分ですよね。

ああああ、こんな偉そうな事をつらつら書いていますが、何が言いたいかというと助け舟出してくれて、ペンチ貸してくれてありがとううううううう!

です!

今日もお疲れ様でした、良い夜をお過ごしください:)

意志と甘茶とお誕生日

最近胸にぐっさり刺さった言葉

「意志を持って生きる」

なくても良いと思うし、あったらあったで生半可ではないなあとも思う。

そんな私はよくうっかり忘れています。

全然関係ないのですが今日はお釈迦様のお誕生日だとか。おめでとうございます🙇‍♀🙇

春雷

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全ての生命の源となるエネルギー

その容姿端麗な姿に渦巻く青白い声

雨や風、時にはひょうをも巻き起こす

全てのタイミングがぴったりと重なるこの時よ

確実に季節は転じゆく

そうとは知りながらも止めることができないこの激情

今だけと知りながら遠く見えるは春雷よ

眼の前に現れる出来事

何かがある前や、変化する時に示唆をするような出来事やニュースやサインが連続的に眼の前に現れる事があるという話を聴いた事がある。

向こうから現れている様で自分がその糸を手繰り寄せている可能性もあるのかな、と思った。言い換えるとその様な出来事、もしくはニュースやサインに自分のアンテナが反応する様になっているのではないかと。

何週間か前に怪我をしたご高齢の女性の介抱の場面に遭遇した。そして今日は眼の前でご高齢の女性が自転車でバランスを崩して転んでしまった場面に遭遇した。

私の周りにいた人々は2人。3人でなんとか女性を起そうと試みた。幸いな事にお怪我はなく少し座って休んだ後にゆっくりと自転車を押して歩き始めた。

この時私は起き上がるお手伝いをしようと思ったんだけど、どの様に自分の身体を添えてあげたらベストか、という想像が追い付かなかった。私を含め3人のうちの1人の女性が慣れているのか、とても良い動きでその女性を起き上がらせていた。

何より、掛け声がとてもどっしりしていて安心させる様な掛け声だった。

うーん、なるほど。とほんの数分の出来事だったのだけれど学んだ事が色々あった。介抱する際の身体の使い方、声のトーン、etc..

この話の流れからまた冒頭の連続的に現れる出来事、の話に戻ります。この出来事が伝えようとしている事はなんだろう?というか、昨日友人と他者の気持ちを理解する事について、という事を話していたのでした。

ひとは生まれた環境、持ち合わせている身体性やメンタリティー、バックグラウンド等など同じものはひとつとしてない。個人として見るとカテゴリーに当てはめる事は厳密にはできない。だからその上で向こうが何を考えているか想像するというのは本当に大きな作業であり、類似体験等をしないと理解できないケースもしばしばある様に思う。

そして何より頭だけで理解するのではなく、身体を伴った理解をいつも求めている。どの様にこの身体を動かしたら、手を動かしたら、足の角度を変えたら、言葉を選べばベストなのか。

何より、理解できる事だけが大事なのではなくて、理解したいという気持ちを持ち続ける事なんだよな。。と思った。そう思うと人間はいつでも独りだし他者に理解されうるものではないのかもしれない。それでも歩み寄って肩を寄せて生活する人間の姿はなんだかとても豊かに見えるのでした。

うーん、学べという事だな。学ぼう。

学んだ上でどの様な自分になっているのか、想像するのに相応しい新年度の始まりの日です。

新社会人の皆さん、新しい仕事や環境に身を置く皆さん、何かを新しくスタートする皆さんへ、おめでとうございます!

モーニングルーティーン

「朝は10分かけてコーヒーを味わいつくして、10分かけて気に行っている曲を何度も何度も聴く時間を取っている。それがその日一日の余裕を生む」

という事をとある方が仰っていたのがとても印象的でした。

確かにそうかもなあ、朝に余裕があるとだいぶ違うんだろうなあとは思っていましたが、なかなか実践には移せず。でも自分の注意力散漫な性格や気分にムラがあるのを見かねて、少しずつですが朝の過ごし方を見直している最中です。

というわけで私なりに実験しております。まず、朝は白湯を飲んでいるので白湯をきちんと味わうようにする事。その次、今まで朝起きるとラジオのスイッチをオン!していたのですが、それを止め、無音で過ごしています。後は朝起きて無意味にスマホを覗かない。もう一つ、その時に聴きたい音楽を出かける5分前にじっくり聴いて出かける。といった事をやっています。

10分ていう時間にとらわれすぎるのもな。。と思い少し短い時間を設けています。

3月頭位から実践しており、できなかった日もあるし、無意識のうちにスマホを覗いて「ハッ」となったりトライ&エラーを繰り返していますが、うん、集中力が上がったかどうかは未だ検証中だけど(笑)気分はとても良く感じる。

とくに朝起きてから見るスマホを辞めたら不思議なんですけどダラダラとSNSを見なくなった事は実感している。

前年度のちょうど自粛が始まった辺りから、色んな人が前にも増してモーニングルーティーンをyou tube等で紹介していますよね。なんかブームなんでしょうか。自分にも取り入れられそうだな、というのは取り入れたり、皆生活に合わせて色々と工夫しているので面白いなあと思います。

先先の事を考えると。。特にこれから暑い夏もやってくるし、やはり朝早く目覚めて色々とタスクを行って行きたいというのが理想。とある方なんかは4時に起きて執筆し、家の事をやり、その後仕事をして夕方には畑、夜9時に就寝しているという。。うーん、凄い。

色々と工夫して自分も生活も良い感じにアップデートをかけていきたい。現状私の課題は朝の過ごし方。もう一つは食事を美味しく楽しく味わう事でしょうか!

たらたらと自分の事をすみません。人体実験を続けていきたいと思います。朝散歩に出かけているのですが、今桜がとてもきれいです^^

Do you remember your dream in this winter?

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夢うつつの啓蟄期間

地中から虫が顔を出し、桃の花がほころび空では蝶が色鮮やかな衣を纏う

冬眠していた虫達は巣穴の中で観ていた長い長いロードフィルムの様な夢を共有したりするのだろうか。もしくは何もかもすっかり忘れてしまいまた淡々と生活を続けていくのだろうか。

人間は実際に冬眠はしないものの、毎夜死んだように眠り毎朝目覚めるという半ば奇跡に近い事を毎日繰り返している。また、何かに突然目覚めた!気づいてしまった!という様な場合も眠りから目覚めると言うように形容される事が多いと思う。

土の中から出てくる少し前の虫達って、あの、少し目覚めてるんだけどまだ布団から出たくなくてうだうだしてしまう感じや、何かを始めたいのになかなか決断しきれないあの状態と似ているのだろうか。

布団から「よし、起きるべ!」と決め開いたカーテンに拡がる景色や、何かを遂に「よし、始めるべ!」と行動を起こした後に眼に飛び込んでくる世界が自分が思い描いていたより色鮮やかだと良い。

今回、なるべく虫の眼線で写真を撮りためてみました。つまり見上げるといった視点が多くなったのだけど(猫さんは違いますが。また背景のモノクロ写真も。こちらは以前何かでコピーしたものです。。)

虫の視点、即ち地面に近い。。という事で道端でしゃがんでしきりに植物を撮っていたので不審者感半端なかったという事は否めません。。(笑)小学生にかなり怪しげな眼で見られる私。ふふふ。

こんな事を考えていたからか、最近今まで長い長い夢を観ていたのかなと思う位景色や物事が新鮮に感じる事があります。季節の変わり目だから?かもしれませんが。

【3月5日~3月19日 24節気:啓蟄 72候:蟄虫啓戸/桃初笑/菜虫化蝶】

その行為をアートと呼ぶ

昨夜のお話をさせて下さい。

帰り道、家に着く手前の真っ暗な小道のはしっこで二人の人が佇んでいました。どうやらご高齢の女性が転んでしまい額から流血してしまい、近くの某運送会社のお兄さんが介抱していたのでした。

救急車を呼びますか?家まで運びますか?と言っても家人がもう少しで帰ってくるから。。とそこに留まる事をその女性は主張していてどうしたものかとなっていました。

そこにひとりの男性が何があったのかと尋ねてきたので事情を説明すると眼の色を変えて「看護師であるパートナーを呼んでくるから応急処置しよう」と提案してくれたのです。

すぐにパートナーの方がやってきて手際良く額の怪我を処置。その手さばきと介抱は本当にため息がでるほど鮮やかでした。

家人であるご主人もようやく帰ってきてその女性は無事に帰宅しました。。

という事があったのです。

私は昨日の帰り道、ある事で少しだけ頭を悩ませていたのですがその出来事に遭遇し全て吹っ飛んだと同時にちょっとした感動を覚えました。

何故かというと看護師の方の介抱も勿論ですが、あの場にいた全員が”この人を助けたい”という方向にベクトルが向いており、見返りも報酬も何も求めていない、ひととひととの淡々としたやり取り。そんな事が線香花火よりも少し大きめな火花をともなうようにその空間を照らしていたように思うのです。

見返りを求めたり認めてもらいたかったり、結果や報酬を求める。これらの事は人間社会では本当に良く起こる事で、考え出すと嫌になる事もあるけれどいかにも人間らしくいとおしい側面もあると私は思います。ただ、この様に無心でただただ何かの行為を施す。。というものが日々に突然経ち現れると世界の色が変わって見える。

色が変わって見えるだけではなくてそれに関わっている人々の意識まで変えていく可能性も持っているのだなと言う事を強く思いました。

ちょっと話が逸れるかもしれないけれど、そういった行為全般をアートと呼べるのではないかと私は思う。有形無形、絵か彫刻かなんてものは全く関係なく、ただ無心で行った事が人々の意識を変えていく役割を担っている。それはもしかしたらスーパーのレジで起こるかもしれないし、ウキウキして作った自分の為の朝ごはんかもしれない。

何かに真剣に取り組む。そういった行動が連鎖していけば全体の幸福度がもっともっと上がっていくのかもしれないな。。と一晩明けた今そんな事を感じています。

何はともあれ無事で良かった、よ!そして全員が笑顔で解散したのでなんだか忘れられない夜になりそうです。早く傷口が回復しますように。