食べ物写真まとめ:スマホの容量を増やすべくここへ記録

自分が何を食べていたかを記録しておくと何だか興味深い。。その時の状態がわかったりするものですね。    

大体にたりよったりな食材になってしまうなあ



ここ数日忙殺されていたけど、明日はおふだぜ!という事で最後の写真は仕事後のさつまいもとりんごを炊いたもの。きな粉をまぶして。コーヒーと一緒に☕️

ああ。。この時間がやっぱり好きだわ。。🕒

ず・ず・ず



昨日だったかな?ちょっと管理業務的なことが多くてそれは“創造的“とは少し離れた仕事をしていた。その日帰ってから夕飯を作るべく包丁を持ったときに、自分でこれから何かを作る、と言う意識を感じた事がすごく身体にしっくりと、きた。

これは色んな創作の場面で言えることなのかもしれないけど(料理でも、絵でも、掃除でも、DIYでも)何かを形作ると言うのは自分の想像している以上の幸福度がセットになってやってくる。

そしてそれを誰かに言われたからではなくて自分でやりたいと思う気持ちがあるから手を動かす。それが最上の喜びの様に感じる。

あなたは わたしは じゃまじゃない 

先週末、少し人が多い商店街に仕事で繰り出すことがありました。

 

そう、あれは餃子の○○前、、

 

テイクアウトを待っている人や注文をしている人が何故かわんさかいてそこを通るのが少し難しかったのです。

 

そこで私は少し重たい荷物も抱えていたので

 

「邪魔にならない様に通り抜けていかなくては」

 

と思っていました。

 

 

その夜、仕事を無事に終えてご飯も食べて、さあ明日のために早く寝よう、、と思っているも何故か重い腰が上がらない。何か釈然としないモヤモヤした気持ちに苛まれているのです。

 

ええ、お風呂に入りながら自問自答しましたよ。

 

何でだ、何でや、何でやねん、何なん!!!

 

その時にハッとしました。自分の頭の中に何回も出てくるイメージがあるのです。

 

それはズバリ、お昼に通りかかった餃子の○○!!!

 

あの時の自分、何考えていた?
👇
“邪魔にならない様にしなくては“

 

 

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

 

うおおおおおおああああああああああああああああ😱😱😱😱😱😱😱

 

 

き、気づいてしまった、、

 

何にモヤモヤしていたかというと“邪魔になってはいけない“というこの考え方。え、、私は邪魔な存在なのか??自分で自分を邪魔とあらかじめ認定しているのだろうか???

 

 

これは本当に些細なことでしたが、私にとってはとても大きな衝撃的な気づきでした。

 

自分の事を邪魔と予め設定してるって、どんだけ自虐的なのよー!

 

確かに物理的に邪魔になってしまう瞬間はあるかもしれないし、他者から見ると邪魔になっているケースはこの都会の中では大いにありうる事だと思う。だからそう考えても仕方がないのかもしれないけれど、

 

 

“邪魔“と考えるより

 

“いかにしてこの場に調和することができるか(長い、けど他の言い回しが見つからない(笑))“と考えた方がよほど平和だなーと思ったのです。

 

少なくとも自分を卑下しているわけではないし、周りの人々と同じ目線で存在しようという姿勢がありますよね。

 

 

今思えば、“邪魔にならない様に“ってあちこちで聞く言葉。そしてそれをあまり疑ってこなかった自分もちょっと怖い、、。

 

謙虚さの印でもあるのだろうけれど、自分を卑下する言葉にもなってしまうなと、思った。

 

本当に些細なことだけれども、小さな頃から積み重なっているこの言葉。この言葉に限らず、マイナスのイメージを帯びている言葉を自分に浴びせかけるというのは長い年月をかけてじわじわと身体とメンタルを侵食していく。思考自体もそれにハッキングされてしまって、それがあたかも当たり前の様に考えてしまう。

 

うーん、怖い。

 

 

自分の無意識の領域を垣間見た瞬間でした。でもこれに気づいた時、お風呂場でガッツポーズしてましたよ。スッキリしたーーーーーー!とか言って。

 

そのくらい大きな気づきでした。

 

わたしはじゃまじゃない。ただ皆と一緒に気持ちよく心地よく過ごしたいだけ。そう思えただけで重い鎖から少し解放されて少し呼吸がしやすくなったように思います。

 

 

今日も東京は良いお天気です。寒いので暖かくしてお過ごしください!

2022年やりたい事リスト/とある約束した仕事を納品する 

2022年やりたいことリストの中に、とある方へのオーダーメイド・ポートレートを仕上げるというものがありました。

 

本当は昨年度末には完成して納品している予定だったのですが、私の入院・療養のタイミングと重なってしまったためこのリストの中に入れておいたのです。

 

依頼者の方はもう何年も前から知っている方なのですが、いつも絶妙なタイミングで私に助け舟を出してくれたり、やりとりの中から学ぶことが多いなと思うことがよくあります。

 

実際、この制作が療養期間中になかったら生活は少し寂しいものになっていたかもしれません。

 

 

私はこのオーダーメイド・ポートレートのことについてこう思います。

 

 

私が絶対にやらなければいけない仕事ではない

 

 

です。

 

 

私よりうまく描ける人たちなんてこの世の中に何万といるし(似てないと言われることもある)、気力も体力も時間もそれなりにかかるし(日々の合間を使って制作している)、そして時間がかかる割にはお代がそこまで入ってくるわけではない(いやらしい響いたらすみません)。

 

だから、これが私の喜びです!

 

なんてキラキラ夢見ている様になんてとてもではないけれど言えない😅

 

 

それでもやろうかな、と思えるのはそこによくも悪くも人間同士の関わりあいが発生して自分の中で新しい視点や考えが生まれるから。何より、いつも何かでくよくよしてしまいがちな自分が手を動かす機会を得たり、自分以外の世界の事を考えるきっかけにもなるから。

 

でも本当、最終的に喜んでいただけるとそれはそれでとても嬉しいです。

 

この写真のポートレートの対象となってかわいい1人と1匹はとても元気で明るく周りをパッと照らすような印象を私は抱きました。それでいて良い意味で周りに刺激を与えていく。炭酸水の様な、わたパチの様な、イメージカラーは黄色!という感じだったのでミモザの花を周りに添えました。

 

ミモザは“友情“という意味もある様なのでぴったりかなあと。

 

改めて依頼者の方へ、本当にありがとうございました!

色んな色があってそれで良き 

この3ヶ月、小麦・白砂糖・乳製品を摂取しなくなり、味覚・感覚が変わった様に感じています。

 

どの様に変わったかというと、野菜が。。野菜が。。食べたいいいいいいいとなるのです🥦

 

そして「あ!これはとても元気な野菜だな!」というのに巡り合えるとものすごおおおおく嬉しいのです😆

 

私が元気だなと思うのはやはり味が濃いこと。。です。

 

自分の状態も関係しているかもしれません。食べることを焦っていたり上の空だったり。後は動画見たり音楽聴きながら食べるとあんまり集中できない。よくやりますけど。それも一つの楽しみだったりするから😅

 

プレートにきれいに盛り付けたり、色が出揃ったりすると(たまにすごーく偏った彩りになりますが)ひっそりガッツポーズをするという。。

 

そして写真には収めるけれどもどんどん溜まっていきこうしてブログにアップして記録しようとしたりするわけです。(スマホの中にはあんまり写真類を溜めたくないタイプなので)

 

こうしてみると食べるものはやはり偏りがあるように感じます。普段食べないものってきっとスーパーとかでは目もくれず素通りしてるんだろうなあ。好きなものを食べ続けるのももちろん楽しいけど、馴染みがないものにトライするのは感覚が拡がる感じがしてもっと楽しいです。

 

食に関する皆さんへ、いつも本当にどうもありがとうございます🙇‍♀️

混沌の中のパッション 

これは一晩つけた黒豆

 

 

赤の色素🔺が浮き出てきてるのをみるとポリフェノールを含んでいるのはほんとなんだと思えた

 

抗酸化・造血作用有と言われる所以がわかるような🔥🔥🔥

 

“混沌の中のパッション”といった言葉がふと、頭をよぎる

 

 

ここ近年私がいちばん欲しい物、それは身体にみなぎる健康な血液だとよく思っています😇元気があればなんでも出来る💪

 

 

ここ最近思うこと

 

バランスを取るってどういうことなんだ?とあれこれ考えていました

 

何かに比重がかかりすぎると何かが枯渇してしまうイメージもありますが、何かの比重が重くなることで連鎖反応のように何かに重石がかかっていくようにも思った。

 

やはり、変化は怖いから同じことを繰り返す事に依存して思考を鈍らせる、それゆえに一方通行の道や表現しか選べない、といった罠もあるな、、とか。

 

 

そして最大なテーマだったのが

 

なぜブレるのかということ

 

 

ブレについてよくよく思考をトラッキングしていくと、他者の眼をすごーく気にしている自分がいることに気づきます。

 

つまり“自分“を起点にしているのではなくて“他者“にどうみられるかを意識して自分というものを成り立たせようとしている事を無意識のうちにやっているのです!

 

これほんとに厄介だなと思いました。

 

 

これで生活が成り立たないわけではないんですけど、何せ他者に判断を任せていくと不安だとか心配とかそんな感情ばかりが起きてくるから心中平穏ではないわけです。

 

自分軸、自分軸という言葉を耳にタコが出来るくらいよく聞きますが、そんなものあっという間にハッキング、乗っ取られるのですよ。

 

 

ここ最近感じたことをつらつらと書き留めてしまいました。でもこれも思考の転換という日々の訓練なのだなあ、、とよく思うのです。

 

内側からだと難しいから自分の生活のあり方だったり行動だったり外側のアプローチからとか、あれこれ実験してみようと思います。

 

 

私はここ何ヶ月のブログに自分の乳がん体験を書いてきましたが、ここ数日でやっと気づいたこと。

 

それは私が克服すべきものは癌ではなくて、自分の思考の在り方なのだと思った。癌細胞は私に本当に色んな気づきを与えてくれたしそれによって自分自身に変化が起きたと思う。だから、“ありがたい“と今では思えます。

 

だからなのか「克服したい」と言っていた傍らでいつも少し引っかかるものがあった。というか、人の身体の中では日々癌細胞は生まれていますから共生しているには間違いはないのですけれども。。

 

そんな時に眼にしたのが坂口恭平さんのこのツイートでした。坂口さんは本当にいつも何かを気づかせてくれるというか、ハッとさせられることが多いです。

 

いつでもどんな風に吹かれても揺るがない心と身体を作ること、何より笑顔でいること、そんな技をどうやってこの人生で磨いていこう。そんな作戦に知恵を下さる方がいらっしゃいましたらどうぞ聞かせてください👂ふふふ

 

あ、これぞ混沌の中のパッション!?🔥無理矢理のようだけど繋がったー😂

ココアにとけるしあわせのつぶつぶ 

寒いとココアが飲みたくなります。

 

今日は肉体労働の後ピュアココア、豆乳、シナモン、生姜、クローブ、塩少々とメープルシロップで煮込んでみた。

 

いつも豆乳プラスピュアココアの組み合わせは重いような気がするのだけれど慣れてきたような気がする。アーモンドやオーツミルクだともっと軽く感じるのかな?

 

 

昨日ふと思ったこと。

 

ブログにも書いていたけれど思考の転換、という事にチャレンジしてみようとしている自分がいることをはっきりと認識した。

 

ちょっと遠ざかっていた人間・仕事関係の間に再チャレンジというのだろうか。生まれたての赤ん坊のような👶気持ちで飛び込んでみようとLINEをしてみた。

 

結果は良い風が吹いている感じ。

 

 

自分の住む世界は自分で決めるとよく言うけれど、それは外側の条件をもとにそういった事を述べるのではなくて、、やはり自分の内側が決める事なのではないかと思った。

 

今日、大事な友人2人と話したりメールのやり取りをすることがあった。

 

その中にやはり外側の条件ではない、といった話が出てきて後押しされた気分だった。

 

こうして眼が覚めて、ご飯が食べれて、動いて働けて、友人と話せることがただただ嬉しい。

 

昔はそのことをこんなに単純に幸せ、と咀嚼できなかった自分はとても傲慢だったのかもしれない。でもそのプロセスすらも宝物。そういった小さなことを追い求めていきたい。

 

 

色んな決断を下す場面が昨年度末から立て続けに起こった。

 

自分にただただ自信がなくて迷ってばかりだった。

 

けど、何を選んでも正解で間違っていない。そう思えた時どんな状況に置かれようともその時の最善の楽しみ方が出来れば十分幸せ。

 

 

それでもやっぱり心と身体が乱れそうになることがある。今気をつけているのは“呼吸“。

 

呼吸を感じる時間を自分に設けることで自分に余白が生まれるような気が、する。

 

私はまだまだ焦りすぎている、急ぎすぎている、速く咀嚼しようとしている。何でそんなに急ぐのかね?と問いかけてみる。

 

 

最近癒しでよく見ているとある方のインスタ(内容は日々の料理)すら速く咀嚼しようとしていたのでいかんいかんとゆっくり文章を読むことを心がける。食べてんのか!って今書いていて思った😅どんだけ食いしん坊ですか。

 

 

短く書くつもりが長くなってしまいました。

 

良い土曜の夜をお過ごしください!

日々の処方箋

最近ふと湧いてくるto do list.
きっと何かが変わっていくと思う

メールを書いているとき、ブログを書いているとき、無意識にマイナスな言葉選びをしている自分にふと、気づく

プラス思考を奨励しているというハッピーさんという訳ではなくて、マイナスに考えうるものをいかに気持ちよく表現できるか?という事にかかっていると思う

最近、表現ということを改めて考えている自分がいる

干し椎茸を作る・2022は乾物イヤーなのか?やりたいことリスト2022 

干し椎茸を作ってみました。切り干し大根に引き続き干すシリーズお次は椎茸です🍄

 

そういえば干し椎茸ともいうし、どんこともいうし、、違いって何?と思って調べて見たらどんこと呼ばれる所以にも色々あるのですね。

 

 

にしても干す事によってしか得られない栄養素が出てくるから不思議です、、。人間も太陽の光を一日に20分位?は浴びた方が良いと言われているし。

 

でも確かにこの冬まさにそれを実感していて、午前中に太陽の光をきちんと浴びた日はなんだか調子が良かったり、よく眠れたりしているような気がします。

 

特に今は冬の時期で太陽が出ている時間が短いですし。

 

 

にしてもなんでこんなにあれこれ干しているんだろう😂と言ってもまだまだ干したことがないものがいっぱいだからその都度挑戦していきたいです。

 

2022やりたいことの一つは乾物作りにチャレンジ(この中に椎茸・切り干し大根含む)ってところなのでしょうか。この動機の元を辿ってみたけれど、やはりスーパーで買えるものを自分で気軽に手作りできる喜びを味わいたかったし、手間はかかるけれどあの干からびていく過程を生活の傍らでお世話するのは別に悪い気分ではない。

 

というか水に浸けるとまた戻るって!しかも栄養価も高くなっているって!ちょっとしたミラクルにしか思えないのですが。

 

 

最近、食が本当に変わったと思います。特に私の中での野菜のポジションが変わった。それが何なのか・どうしてなのか、実は自分でもよくわかっておらず言語化出来ていないのです。すみません、だから抽象的な物言いになってしまう事をお許しください。

 

何にしても野菜をきちんと食べれる事でしか得れない充実感。もちろん野菜の鮮度や質は純粋であればあるほど◎だし、やはり安心して食べれる方が良いなと思います。でもそれだけではなくてきちんと手を加えて食べるという過程を通す事によってまた何か新たな化学反応が起こるような気がしています。

 

お肉はまた違った感触を得ている。

 

やはり食べると馬力が出るというか、パワーがすごい。“動物“ですものね。毎日は食べれないけれど捌く時はまな板の前で思わず合掌してしまいます。

 

セラピストのお仕事をしていた時もマッサージを始める前にお客さまには見えないように合掌をよくしていたんですが、あの感じと似ているかも。

 

あれは仕事だったから、失敗もなるべくしたくなかったから、という下心も働いていましたが、やはり身体を触らせていただくという貴重な時間を神聖なものとして扱いたいという気持ちが働いていたように思います。

 

 

干し椎茸から話は少し逸れてしまいましたが!干す事でしか得れない体験をもっとしてみたいな、今年はと思っています。

レーズンパンのようなお味噌 

今朝、今年仕込んでまだ開封していなかったお味噌を開けたら端っこにおそらく酵母ができていて舐めてみたら、ななななんと、レーズンパンの味がした。。!

 

酵母の作用によってワインのようなフルーティな味わいも楽しめますよ、と先生から聞いていたもののびっくりしました。

 

なんだか嬉しくなって煮りんごの上に少しのせてメープルシロップを垂らしてみた。そしてその煮りんごを煮た鍋でお湯を沸かしてコーヒーを淹れる。。なんでそんな邪道な事をしているのだと思わず自分に突っ込みましたが鍋を洗うのが面倒だったのと、完全なる興味本位です😜

 

 

そして今朝はなんだか心がザワザワとする朝だった。

 

おそらくここ数日、大局をみようとしすぎていたり、まだうまい具合にあれこれのバランスが取れない自分への焦りのようなものもあると思う。

 

自分にとっての喜びはなんだろう?と朝から哲学的な問いに当たってしまったのですが、、それはやはり日々の小さな物事と手を動かして作る事なのかな、と思った。

 

作るとはアートだけではなく料理だったり、空間や場を作る事だったり本当に些細なことも含みます。私はSNSのコメントや会話もそうなのではないかと思っている。

 

 

まだうまく言葉に出来ないのですが、ざわついたなりに細々したことをやりながらあれこれと作業を進めていったら不思議と心が落ち着いて何も音がない部屋でも過ごせるようになりました。

 

 

何かとても大切な事に気づいた朝